黒田玲子・財団評議員(東京理科大学教授)ロレアル−ユネスコ女性科学賞受賞記念インタビュー 「自然界に広く現れる左右性現象への分子構造の左右性の関与を解明、神経変性疾患を含む幅広い応用研究への貢献」


そこで開発されたのがUSC-1とUSC-2/UCS-3という2種類の分光光度計ですね。

  この2つの分光光度計により固体状態の分子のキラリティ測定が可能になりました。専門的なことなのでうまく説明するのは骨が折れるのですが、キラルな物質に、キラルな右と左の円偏光を当ててやると(これをCD 分光という)、普通の光よりもはるかに感度よく構造の違いを認識できるのです。それを、固体状態で測定ができるようになりました。

出典『黒田玲子教授研究業績集』p34より

その分光計は、既存のものと比べて何が違ったのでしょうか。

  測定したいCD信号にそれよりも桁違いに強い固体特有の偽の信号が混じってくる問題があるのですが、UCS-1では、それらを測定にかけて、演算で除去できるようにしました。UCS-2/3は、その上に、さらに面白い工夫をしました。それまでの分光光度計はサンプルを縦置きの状態で測定していました。それでは柔らかい試料は重力で落ちてしまいます。水平(横置き)にサンプルを置けるよう改良したのです。すると、ズレ落ちませんから、時間による変化も測定することも可能になります。これにより、アルツハイマー型認知症をひきおこす原因のタンパク質であるβ-アミロイドの、溶液からの凝集過程をリアルタイムで追跡できるようになりました。パーキンソン病のアルファーシニクラインとか、ハンチントンブドウ病のポリグルタミンなど、みな同じようにタンパクの凝集が原因で起きることがわかっています。

発生生物学にすすみ、研究対象を巻き貝にされたのは。

  巻貝はたくさんの生物のなかでもキラリティが体内構造だけではなく殻の巻き型という体の外観にも現れる、ユニークな生物です。そして、貝の巻く方向の違いは、どうやら一個の遺伝子によって決まっているらしいと、20世紀初頭に報告されていました。ただし、ここでいう遺伝子とはメンデルの遺伝子であり、現在、われわれが言っているDNA上の遺伝子ではありません。現在の遺伝子でも、一個の遺伝子座で決まっていることを、わたくしたちが突き止めました。

たとえば、人間の髪の毛でも、皮膚の色でも、それを決定するプロセスというのは、ひじょうに多くの遺伝子がはたらいて最終的な状態がきまります。でも、貝の巻く方向が、たった1つの遺伝子で決まるのなら、ものすごくシンプルだし、おもしろいのではないかと興味をもったのです。それに、自分の遺伝子ではなく、母親の遺伝子で発生の非常に早いときに左右が決まることが19世紀の終わりに報告されていましたから、キラリティの研究にこれほど適した生き物はいないと思ったのです。1997年頃のことです。

とはいえ、貝にはひじょうにたくさんの種類があり、そのなかから研究対象に選ばれたのは、ヨーロッパモノアラガイという貝ですね。

  巻き貝は、普通、どちらか一方の巻き方をしており、9割の種は右巻きです。まれに左巻きの貝があると収集家の貴重なコレクションとなるほどです。ただ、私の場合は、右巻き、左巻き両方ある種でないと比較実験ができませんから、おのずと範囲は絞られました。ヨーロッパモノアラガイは、世界中に生息していますが、偶然、ドイツのドナウ川で98%が右巻きですが、2%ほど左巻きがいることが見つかり、オランダの実験室で飼っている人がいました。タケノコモノアラガイも、イギリスで珍しい左巻きが発見されました。モノアラガイは、両巻きが天然にいるというひじょうに珍しい科です。1個の遺伝子座によって決まる巻き型が同じ種で両方あるということは、その制御の仕方を実験によって確かめられる可能性があるということを意味します。ですから、この巻貝に対象を絞ったのです。

そしてついに身体の左右を決定するメカニズムを明らかにされたわけですね。

  まず、詳しく観察すると、左右の巻貝の発生が、世界中の教科書に書かれた定説とは異なっていることに気付きました。受精卵が細胞分裂(卵割)をしていくときに、4細胞から8細胞に行くところ(第3卵割)で、右巻きの貝は右回りに、左巻きの貝は左回りにらせん卵割をするのですが、その分裂の仕方が左右の巻貝で鏡像関係にないのです。そして、その違いを引き起こしているのが、巻き型決定遺伝子であることも突き止めました。
そこで、次の研究の展開として、第3卵割における細胞の回転方向が重要なら、それを人為的に逆にしてみたらどうかという発想に至ったのです。つまり、キーになったのは、ガラス棒で、細胞の分裂パターンを本来とは逆の方向に、胚を直接押して変化させたことです。物理的に右巻胚を左巻胚様の、左巻胚を右巻胚様の細胞配置パターンに変えてやったわけです。その後、これらの胚を培養したところ、驚くことに、逆巻きの貝が誕生しました。操作をしたのは8細胞期の胚ですから、その時の細胞の相対的配置により、左右が決定されていることがはじめて明らかになりました。また、逆巻になった貝は、正常に子供を産みますが、それは、遺伝子に書かれた巻型にちゃんと戻ることも確かめました。

第3卵割の旋性が巻貝の巻型を決定する仕組み
出典・黒田玲子著『生物の科学 遺伝』2010年7月号(64巻4号)より

胚を直接、突っつくとは、そのようなことは可能なのですか。

  卵の大きさが100マイクロンですから、1から2マイクロンぐらいの太さのガラス棒をひいて、先をちょっとなまして丸くして顕微鏡をみながら、そおっと押すわけです(写真右)。写真の左側はそれに使ったマニュピレータです。強く押すとすぐにプチッとつぶれてしまいます。左右から2箇所を20分ぐらい押し続けます。この方法を作り上げるのはとても大変でした。

ほかにも実験は苦労の連続でした。最初は飼い方すら、わかりませんでしたから。わざわざアメリカまで調べに行ったりしました。研究をしている人がほかにはあまりいませんから、分子生物学の実験方法もすべて自分たちで開発しなくてはなりませんでした。そのうちに周りからは「論文が出ない」と責められたりしましたが、水槽の糞の掃除がうまくなりました、どんなエサを好むかがわかりました、といってもまさかそれで論文を出すわけにもいきません(笑)。

マニュピュレーションに使用した装置(左)とマニュピュレーションの様子(右)
出典『黒田玲子教授研究業績集』p64より

他に苦労なさったことは。

  胚を物理的に変化させられてもその後が大変です。受精卵というものを想像してみてください。たとえばニワトリの卵だとしたら、カラを割って、白身から取り出している状態で卵黄を直接さわるという実験しているのです。実験したあと、再び白身とカラのなかに入れ直すこともできませんから、できるだけ元と同じ様な状態にして、無事孵化させなければなりません。随所で越えなければならない壁がありたいへんでした。

先生のこの発見によって、ヒトをはじめ脊椎動物と共通する、発生後期の左右性決定に関わる遺伝子であるNodal, Pitxの発現部位も8細胞期の胚操作で左右逆転していることを示せました。巻貝のみならず、今後、さまざまな生物種の左右決定にも重要な知見を与えることが期待されています。

  実験の結果は『ネイチャー』に発表しました。国内はもとより、海外からの反響も大きかったですね。そして今回のロレアル-ユネスコ女性科学賞は物理科学分野が対象ですが、もしかしたら、それにもつながったかもしれません。先月、フランスのアカデミーで受賞記念講演をしました。アカデミーの会長のタケ教授が講演後にやってきて「黒田先生。じつは僕の孫は双子で、そのうちの一人が心臓から腎臓、大腸の巻き方まで“完全に逆”なのです。あなたの講演はたいへんおもしろかった」と言ってもらえたのです。私の発見は、やはり人にもつながり発展していくのだと思うと、嬉しくなりました。


写真・黒田玲子提供