黒田玲子・財団評議員(東京理科大学教授)ロレアル−ユネスコ女性科学賞受賞記念インタビュー 「自然界に広く現れる左右性現象への分子構造の左右性の関与を解明、神経変性疾患を含む幅広い応用研究への貢献」

ロレアル-ユネスコ女性科学賞。それは科学の発展に貢献する業績を成し遂げた女性科学者を世界中から5名選び毎年表彰するもので今年で15周年を迎える権威ある賞です。セコム科学技術振興財団の評議員を務める黒田玲子教授は、2013年、日本人4人目の受賞という快挙を成し遂げました。受賞理由は「自然界に広く現れる左右性現象への分子構造の左右性の関与を解明、神経変性疾患を含む幅広い応用研究への貢献」。黒田教授の長年のご研究の成果とそこに至ったプロセス、また日本の科学技術の未来についてインタビューさせていただきました。


お茶の水女子大学理学部化学科卒業. 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士). 英国London大学King’s College化学科・生物物理学科Research Fellow/Honorary Lecturer, 英国がん研究所研究員, 東京大学教養学部助教授、同教授, 大学院総合文化研究科教授. 2012年東京大学定年退職。現在、東京理科大学総合研究機構教授. 東京大学名誉教授。東京大学で総長特任補佐, 経営協議会委員, 科学技術インタープリター養成プログラム代表等を歴任. 教育改革国民会議、文科省大学審議会、中央教育審議会, 総務省独法評価委員会, ユネスコ国内委員会委員、総合科学技術会議議員, HFSP 科学者委員会委員, ICSU(国際科学会議)副会長等を歴任. 現在、内閣府男女共同参画推進連携会議議員、東北大学経営協議会委員、総合研究大学院大学経営協議委員等。専門は化学・生物学. 猿橋賞,日産科学賞,山﨑貞一賞,文部科学大臣表彰,ロレアルーユネスコ女性科学賞等受賞. 日本学術会議・スエーデン王立科学アカデミー会員.

ロレアル-ユネスコ女性科学賞の受賞、おめでとうございます。

  日本人にはあまりなじみがありませんが、1998年にロレアルとユネスコが女性科学者の地位を向上させようと創設したもので、この賞をとったあとノーベル賞を受賞する人が2人出たそうで、国際的に権威ある賞のようです。過去に3人の日本人女性科学者が受賞しており、私で4人目でしょうか。

受賞した率直な感想をお聞かせください。

  昨年東京大学を定年退職しましたが、まだまだ現役の研究者人生をおくりたいので、受賞を期に、研究がしやすくなってくれたらと期待しています。

東京大学の教養学部の一般教養に所属していましたので、大学院生も少なく、スタッフも助手がいたりいなかったりで、研究はやりづらかったです。そんななかERATO (科学技術振興機構が実施する戦略的創造研究推進事業におけるプログラム)やSORST(戦略的創造研究推進事業発展研究課題)のプログラムに採択され、新しい分野に研究を展開させることができました。「論文数や特許数は問わないが、日本発の学問やコンセプトを作ってほしい」という(当時)、この素晴らしいグラント制度を作った方々、サポートしてくださった関係者の方々に「ありがとうございます」という感謝の気持ちを、伝えられたことが嬉しかったですね。

受賞の理由は「自然界に広く現れる左右性現象に着目し、分子構造の左右性の関与を解明、神経変性疾患を含む幅広い応用研究に貢献」とのことですが。

  今年は「物理科学」分野が対象でしたが、右と左にかかわる自然界の現象を研究しています。これを「カイロモルフォロジー(chiromorphology)と名付けています。chiral(左右非対称性)と morphology(形態)を融合した造語です。私の研究は、キラリティに着目して、分子から超分子や結晶の構築、遺伝情報からキラルな生物個体の形態の構築の仕組みなど、化学と生物の両方を対象にしてきました。つまり、ミクロとマクロの関連を、キラリティを切り口に解明するという壮大なものです。それらを調べるために、市販の装置がなかったので、装置開発も行いました。一般の人に分かりやすいようにと、「巻き貝を研究する生物学者」「アルツハイマー病の薬の開発者」というようになじみやすい部分だけ紹介され、誤解が生じてしまうのです(笑)。

キラリティについてもう少し詳しく教えてください。

  右手と左手をよく見比べてください。大きさ、かたちがひじょうによく似ています。ところが、同じ向きに重ね合わせようとしてもうまくいきません。同じではないのです。キラルとは、このように、鏡に映した像をどのように回転しても元のものと重ね合わせることができないことをいい、その性質をキラリティと呼んでいます。

そのキラリティという性質をなぜ、黒田先生はそれだけ重要視されているのでしょうか。

  人間の右手と左手では、右手同士では握手ができるのに、相手が左手を出したら握手はできません。これはマクロの世界の話ですが、ミクロの世界でも、同じことが起きます。図をご覧ください。原子の数、結合の仕方までそっくりで、鏡にうつした関係である以外は同じ分子構造をしているのに、左が魚料理などの臭みを抜くディルの香り、右がガムやキャンディなどに使われるスペアミントというように香りが異なるのです。その理由は、われわれの体を作っている重要な分子(DNA, RNA, たんぱく質)が、左右の一方の分子(糖とアミノ酸)からできているからです。これをホモキラルな生命世界と呼びます。握手の時と同じで、キラルなものは、相手がキラルですと、それが右か左かで差が出てくるのです。

出典・黒田玲子著『生物の科学 遺伝』1999年12月号(53巻12号)より

すべての化合物が鏡像体によって異なった香りをもっているわけではありませんね。

  もちろんそうなのですが、差が出てくるのは香りだけではありません。先程もお話ししましたが、アミノ酸にも右手型と左手型があり、舐めてみると味が異なるのです。ちなみに、これに気が付いたのはかの有名なパスツールです。もっと顕著なのは、薬効です。20世紀中頃に妊婦がつわり止めにサリドマイドを服用した結果、奇形児が誕生する例が多く報告されましたが、このサリドマイドという薬にも、右手型と左手型があり、このうちの一方のみが胎児に奇形の影響を与えることが判明しました。

そもそも、右と左の世界に興味をもたれたのは、なぜですか。

  大学院のとき、X線の異常分散(原子散乱因子がX線のエネルキーに依存する現象)をつかって、右手型であるか左手型であるか、対象物質の分子構造を決定している研究室に、配属されました。この方法はいまでは誰でもできるようになりましたが当時はまだそれほど普及していませんでした。

めでたく博士課程を修了しましたが、困ったことに日本ではその後のポストが多くありません。そこで、キラリティの分野で素晴らしい研究をしているイギリスのメイソン教授のところに行くことにしました。X線の異常散乱による左右の決定ができるということで、採用してもらえました。もちろん、現地の人との競争もしなくてはならないポストでしたが、その後も契約を更新して幅広くキラリティの研究をすることができました。

じつは少し前までは、分子のキラリティは“液体”の状態でしか調べられませんでした。生命の発生は海ではなく、粘土の表面だという説を提唱した人もいますし、近年、私も含め何人かが生命のキラリティの選択は“固体”の表面ないし固体中だったのではないかという説を提唱しています。固体状態では分子同士の相互作用が大きいので、左右を区別するには強力です。液体だけではなく固体状態のキラリティも正確に観測できないと「キラル研究がこれ以上進まない」と強く思うようになり、とうとう自ら測定装置を開発してしまいました。

市販の装置でも特殊な結晶の場合には特定の方向からだけですが、キラリティを測れます。しかし、これも、ルーチーン測定ではできません。大学院生のころ、知り合いの研究室にお邪魔して「ちょっと装置をお借りします」とかやっていましたが、装置の後ろにいって感度を変えないといけませんでした。“特殊な使い方”をしていましたから、いくら仲の良い研究者でも何となく借りづらくなりました(笑)。そこで、装置を作っている会社の工場に行って実験をさせてもらいましたが、そこで知らず知らずのうちに学んだことが、その後、固体状態のキラリティを測定する装置の開発に役に立ちました。