京都大学 教授 戸口田淳也先生インタビュー「疾患特異的iPS細胞を用いた難治性軟骨異常増殖病態の解明と再生医療への応用」(第2回)

患者さんの皮膚の細胞から、骨や神経、脳の細胞まで作れるというのは、本当にすごい技術だと思います。初期化したiPS細胞を目的の細胞へと分化させる方法は、どのようにして開発されるのですか。

 多くは発生のメカニズムを応用しています。受精卵は分裂して胚になり、胚は神経や表皮になる外胚葉、消化管や内臓になる内胚葉、筋肉や血液になる中胚葉を形成した後、徐々に脳や血球、心臓などを作り、やがて手足や目、耳、骨、内臓などを形成して、ヒトの身体が完成します。
 それぞれの段階で働いている遺伝子については発生学で解明が進んでいるため、そのデータを用いてさまざまな分化誘導因子や培養技術を用いて、シャーレの上でiPS細胞を目的の細胞へと分化させる方法を探るのです。

iPS細胞を用いた再生医療では、この分化誘導技術に高い精度が求められるのでしたね。

 そうです。先ほど申しましたが、未分化のiPS細胞が移植手術の際に紛れ込んでしまうと、テラトーマと呼ばれる腫瘍を形成する恐れがあります。そのため再生医療においては、分化誘導技術を限りなく100%に近づけなければなりません。現在、世界中の研究者がしのぎを削って、より効率よく、高い精度で分化させる技術の確立を目指しています。

分化誘導技術の重要性はよく分かりました。しかし、メディアではこの技術について、あまり取り上げていないような気がします。

 メディアに取り上げられるほど、技術が確立していないせいだと思います。たとえば神経細胞への分化誘導技術は90%まで到達していますが、糖尿病の治療に関わる膵臓のβ細胞を作る技術は、最新の研究結果でも約30%です。どの細胞を作るかによっても、難易度は変わるのです。
 本年1月23日に、90%以上の精度で腎臓細胞や副腎細胞の元になる「中間中胚葉」に分化させる技術を、世界で初めてiPS細胞研究所の長船先生の研究グループが発表しました。この技術は、まさに日進月歩なのです。

iPS細胞を使った再生医療の実現は、「できること」と「できないこと」が混在しながら10年以上、もしくは何十年もかかると考えるべきなのですね。

 その通りです。今年実施される網膜の臨床研究も、移植した細胞が周りの細胞とうまく馴染むか、眼球に入ってきた光をうまく電気信号に変換できるか、その信号を視神経を通して脳に伝えられるか等、どこまで“正確に”働くかは、現時点では全く分かりません。移植手術後の患者さんの状態を把握して、ステップをひとつひとつ積み重ねていかなければならないのです。

どんな研究でも、いきなりゴールに到達するわけではないということですね。しかし難病の子どもを持つご家族からは、「いつから治療が実現するのか」という質問が多く寄せられていると聞きましたが……。

 ご家族の方々はもちろん、マスコミからの取材でも、必ずそうした質問を受けます。山中先生がノーベル生理学・医学賞を受賞し、国から多額の助成金をいただいて社会的関心も高まっていますから、研究成果を数字で求められるのは当然です。
 しかし、現時点では「いつから」「どれくらい」という質問に、具体的な答えを返すことはできません。研究を進めると同時に、社会に対して再生医療研究のスピード感についても理解を求めていくことが重要だと考えています。

情報を発信する側も、正確に伝えることを心がけていきたいと思います。ところで創薬についてですが、iPS細胞研究所では先生がご研究されているCINCA症候群とOllier病、FOP(進行性骨化性線維異形成症)の治療薬開発の他に、どのような研究が行われているのですか。

 現在、臨床応用研究部門の井上治久先生が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さん由来のiPS細胞から、運動ニューロンを作り出すことに成功しました。そして、正常なiPS細胞から分化させた運動ニューロンと比べたところ、ALS患者さん由来のニューロンは突起が短く、細胞の形も違うことが分かりました。これを手がかりに、運動ニューロンの形を正常にするための薬や、突起を伸ばす薬を探すことで、ALSの新たな治療法の確立を目指しています
(参考URL:http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/120801-183739.html )。

新薬の開発には製薬会社の協力が必要だと思いますが、何億円もの資金を投じて難病の治療薬を作っても、国内の患者が100人以下では、企業として開発費を回収することができませんよね。

 その通りです。それでも多くの企業が興味を示してくださっている理由は、今まで触れたことのない難病の治療薬を研究することによって、一般的な病気の新薬につながる発見があるかもしれない、という期待感からです。
 たとえば、私が研究しているのは軟骨の難病の治療薬ですが、研究の途中で国内に三千万人も患者がいる変形性関節症に効果がある物質が、今までとはまったく異なる側面から見つかるかもしれません。また、「神経系の難病の治療薬」という切り口から、今後ますますニーズが高まる認知症の新薬が生まれるかもしれません。