京都大学 教授 戸口田淳也先生インタビュー「疾患特異的iPS細胞を用いた難治性軟骨異常増殖病態の解明と再生医療への応用」(第2回)

 ヒトの皮膚細胞に4つの「初期化因子」を導入することで作製できるiPS細胞(人工多能性幹細胞)は、2007年に山中伸弥教授によって発表されて以来、病気の原因解明、新薬の開発、再生医療への活用を目指して、さまざまな機関・団体が研究に取り組んできました。さらに昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞したことで、日本のみならず、世界中の関心を集めています。京都大学の戸口田淳也先生のインタビュー第2回目では、あらためてiPS細胞の特性や課題を詳しくお教えいただくとともに、これからのiPS細胞研究のあり方について、先生のお考えをお伺いしました。

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1981年京都大学医学部卒業。京都大学大学院医学研究科にて骨軟部腫瘍の分子遺伝学的研究、米国ハーバード大学にて癌抑制遺伝子の研究に従事。医学博士を取得。1995年に京都大学生体医療工学研究センター(後の再生医科学研究所)の助教授となり、同時に京都大学医学部附属病院整形外科において非常勤講師として骨軟部腫瘍の診断治療を担当。1998年より間葉系幹細胞に関する研究に取り組み、2007年から骨壊死病態に対する臨床試験を開始。京都大学物質・細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター・副センター長を経て、2010年に京都大学iPS細胞研究所・副所長に就任。増殖分化機構研究部門の部門長として、難治性筋骨格系の疾患特異的iPS細胞の樹立および間葉系幹細胞の分化誘導法の開発を担当している。
研究室URL:http://www.frontier.kyoto-u.ac.jp/ca02/index-j.html


現在、「万能細胞」と呼ばれるものはiPS細胞とES細胞の2つがあります。この違いをお教えください。

 まず、ES細胞についてご説明します。
 受精卵が6~7回分裂して胚盤胞になると、その内側に内部細胞塊と呼ばれる細胞のかたまりができますが、この細胞は神経細胞や血球、心筋など、胎盤以外のあらゆる細胞になれる能力を持ちます。これを取り出して特殊な条件下で培養したものが、ES細胞です。
 ES細胞は適切な培養条件を保てば事実上無限に増殖させることが可能で、必要な細胞や臓器を人工的に作り出すことができます。

ES細胞を使った再生医療が実用化されていないのは、なぜでしょうか。

 理由は2つあります。ひとつは他人の受精卵から作るため、細胞や臓器を作って移植しても患者さんの身体がそれを“異物”と判断してしまい、拒絶反応が起きる危険性があります。
 もうひとつは、倫理的な問題です。ES細胞で使われる受精卵は、不妊治療の際に予備として保存されていた余剰胚です。廃棄される予定のものとはいえ、子宮に戻せば胎児となり、やがて赤ちゃんになって生まれることができる胚を、試験管の中で胚盤胞にまで育てた上で壊して細胞を取り出すことに、倫理的・宗教的な批判があります。
 拒絶反応の問題に対しては、クローンES細胞の発見で解決されました。ヒトの卵子から核を取り除き、移植を受ける患者さんの体細胞の核を移植することで、初期化させる方法です。

初期化とは何ですか。

 人体のどの部分の細胞にもなれる「多能性」を持った内部細胞塊が、心筋や血球、卵子など専門的な働きをする細胞に成長することを、「分化」といいます。初期化とは、すでに分化した細胞を、もう一度多能性を持つ細胞へと戻すことです。
 核を取り除いた卵子に患者さんの体細胞の核を移植すると、卵子は受精卵の状態まで初期化されます。これを試験管内で育てて内部細胞塊を取り出したものが、クローンES細胞です。患者さんの遺伝子を持っているので、クローンES細胞から作った臓器を移植しても拒絶反応が起こることはありません。しかし、完全なヒトクローンES細胞はまだ完成していません。また、胚を使うので倫理的な課題が残っています。
 一方、iPS細胞は胚を使わずに本人の細胞を初期化できるため、拒絶反応の心配も倫理的な課題も発生しないことが、大きな特徴です。

胚を使わずに、多能性を持つ細胞を作ることができるのですか。

 レトロウイルスベクターと呼ばれる遺伝子の運び屋を使い、ES細胞の中で活発に働いている「初期化因子」を患者さんの皮膚などの細胞の核に送り込むと、初期化させることができます。これが、山中教授が確立したiPS細胞の作製方法です。ES細胞と同じようにさまざまな細胞に分化できる能力があり、患者さんと同じ遺伝子を持っているため、細胞や臓器を作って移植しても拒絶反応は起きません。

ES細胞と同じ能力を持ち、ES細胞の課題を克服したのが、iPS細胞なのですね。

 そうです。しかし、ES細胞にはiPS細胞より多くの研究やデータの蓄積がありますし、現在の技術ではiPS細胞が「癌化」する可能性がゼロではありません。初期化因子を細胞に導入する際に細胞のもとの遺伝子を破壊してしまったり、初期化因子が活性化したり、目的の細胞に完全に分化せずにiPS細胞が残ってしまったとき等に、iPS細胞から作られた細胞は癌化する恐れがあります。
 これらの課題については、癌になる可能性が低く、かつiPS細胞の作製効率や多様性を損なわない初期化因子の研究や、細胞の遺伝子を傷つけずに初期化因子を送り込むベクター(運び屋)に関する研究、分化能力が高いiPS細胞の作製方法の確立、未分化の細胞を取り除く技術の開発、iPS細胞を目的の細胞に確実に分化させる方法の開発などに、国内外の数多くの研究機関が取り組んでいます。

これほど急速に、世界中にiPS細胞の研究が広まった理由は、一体何でしょう。

 再現性の高さだと思います。iPS細胞は特定の研究所や、限られた技術を持つ個人ではなく、設備と知識があれば誰でも作製することができます。さらに、適切な培養方法によって無限に増やせるので、繰り返し実験を行うことが可能です。
 また、患者さんの細胞から作った「疾患特異的iPS細胞」は、前回のインタビューでも少し触れましたが、病気の原因となる遺伝子を持っているため、これまで解明が進んでいなかった難病の研究にもひじょうに大きなメリットを与えました。

疾患特異的iPS細胞について、もう一度詳しくお教えいただけますか。

 たとえばALS(筋萎縮性側索硬化症)は、筋肉の神経である運動ニューロンが壊れていく進行性の病気です。この病気の原因を調べるためには、ALS患者さんから運動ニューロンを提供していただく必要がありますが、患者さんの負担が重く、細胞を増やすこともほとんどできません。私が研究しているCINCA症候群やOllier病も子どもの軟骨の病気ですから、患部の細胞を取ると骨の成長が障害をうけるリスクがありました。その他にも、脳の細胞をはじめ、研究する材料が入手困難な病気ほど、解明が遅れていました。
 しかしiPS細胞の技術を使えば、患者さんの皮膚などから研究に必要な細胞を人工的に作り出し、増やして、多様なデータを集めることができるのです。