大阪大学免疫学フロンティア研究センター 特任教授 黒崎知博先生インタビュー「インフルエンザ万能ワクチン開発」(第2回)

 私たちの体は病原体に感染すると、その病原体を無毒化したり細胞内への侵入を防ぐ「抗体」を生み出します。同時に、その設計図をメモリーB細胞が記録しておき、次に同じ病原体が侵入してきたときに素早く抗体を産生する準備を整えます。
 1種類の抗体は、1種類の病原体にしか作用しません。しかし黒崎先生がご研究されているのは、異なる種類のインフルエンザに幅広い効果をもたらす「万能ワクチン」です。今回はその研究内容と開発方法について、詳しくお伺いします。

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1984年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。高知医科大学医化学教室の助手を務めた後、1988 年に渡米し、Sloan-Kettering研究所(現Rockefeller大学)Ravetch教授のもとで抗原抗体レセプターの研究を始める。1992 年にはレダリー研究所主任研究員として勤務。帰国後、関西医科大学教授を経て、2004年に理化学研究所統合生命医科学研究センター分化制御研究グループディレクター、2008年に大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授となる。B細胞研究の第一人者。
研究室URL:http://lymph.ifrec.osaka-u.ac.jp/index_j.html


まずは第1回のおさらいとして、インフルエンザウイルスとC179抗体について、もう一度教えてください。

 インフルエンザウイルスには「頭(Head)」と「首(Stem)」の2つの部位があります。頭はA型やB型といったウイルスの種類を構成し、首はウイルスの増殖に関わる部位と考えられています。この首の部分に結合する抗体が、C179です。
 何らかの病原体が細胞内に侵入すると、エンドソームという細胞内小器官がその病原体を取り込み、再利用できる分子は細胞膜に送り、不要な分子は分解してしまいます。しかしインフルエンザウイルスは、エンドソームに取り込まれても分解されません。逆にエンドソームと融合して細胞内で自身を複製し、細胞外にどんどん放出して、増殖するのです。

予防接種などで使われている抗体や、特効薬のタミフルは、どのような効果があるのですか。

 一般的に使用されている抗体には、インフルエンザウイルスの頭の部分と結合して、細胞への侵入をブロックする働きがあります。ただし、抗体とウイルスの型が一致していなければ効果はありません。
 タミフルはノイラミニターゼという酵素に働き、細胞内で複製されたウイルスが細胞の外へ放出されるのを防ぎます。
 一方C179抗体は、インフルエンザウイルスとエンドソームの融合を阻止します。エンドソームと融合できなければ自身を複製・増殖することができないため、インフルエンザを発症せずに済むのです。首の部分はどの型もほぼ同じ構造をしているため、C179抗体ひとつで幅広い効果が期待できます。
感染と治療薬の作用点

抗体を作るためには、B細胞の表面にある抗原認識受容体にぴったり合う抗原が必要でしたね。それを人工的に作るとおっしゃっていましたが、インフルエンザウイルスそのものから複製することはできないのですか?

 インフルエンザウイルスからC179抗体の抗原となる部位だけを切り取ると、構造が壊れてしまいます。そのため、人工的に作るしかありません。
 抗原はペプチドと呼ばれるアミノ酸の断片です。C179抗体の抗原は2本のペプチドが折れ曲がって立体的に交わっているので、アミノ酸の特定はもちろん、その空間構造を予測して模造しなければいけません。さらに私たちの体細胞は水の中に浮いているようなものですから、水分子がどのように入り込んでいるのかを考えて予測する必要があります。

構造の予測は、どのような方法で行うのですか。

 スーパーコンピュータによる演算です。アミノ酸の種類は20あり、C179抗原のペプチドは12個のアミノ酸から構成されていますから、20の12乗で4000兆もの組み合わせが存在します。水分子の入り方でさらに変数が増えるため、普通に計算すると天文学的な数字がでてしまいます。
 そこでコンピュータの専門家にC179抗体との親和性が最適になるアルゴリズムを作っていただき、150個のペプチドのモデルを選び出しました。そこから生化学手法による選別とマウスによる免疫反応の検証を行い、有力な候補を3つまで絞り込むことができました。