東京大学 生産技術研究所 教授 川口健一先生インタビュー「真に安全安心な公共空間のための天井工法と天井の安全性評価法の開発」(第1回)


そのような逆風のなか、地道に調査、研究を進めてこられたというわけですね。いま、川口先生のお話を聞いていると、セコム科学技術振興財団の助成を受け、寒冷地で雪害の研究をしている先生を思い出しました。その研究では、寒冷地の大型公共施設などが、雪害により冬場に使えなくなってしまうケースがひじょう多いと指摘しています(参考URL)。

  設計者がデザイン性ばかりを重視して、周りの環境や実際に使用する際のことをよく考えていないから、そのような結果となってしまうのでしょう。同時に構造の専門家も「耐震補強」という狭い分野に閉じこもってしまった人が非常に多くなっています。阪神淡路大震災後、耐震構造に関する研究はよく進みましたが、天井落下や雪害といったように、重要だけれど見過ごされてきた課題は他にも多くあります。地震で被害があったら耐震補強すればよい、という短絡的な発想にとらわれて来たのが20世紀の建築学界だったと思います。21世紀には発想を切り替えて、真の安全安心の実現のために、新しい課題をクリアしていかなければいけません。

人が大勢集まる公共空間に、安全性が確保されていない現実があるとは大問題です。

  2004年に起きた新潟県中越地震でも、構造が倒壊した体育館やホールはひとつもありません。けれども、あいかわらず天井だけはひどい落ち方をし、重篤な怪我をした方もいます。
  東日本大震災の際、茨城空港の天井が崩落し、偶然撮影された映像がニュースで繰り返し放映されました。また、中央高速道の笹子トンネルのコンクリート天井の崩落でも大勢の死傷者を出しました。笹子トンネルは、地震がなくとも天井落下が発生することを、思い知らされる結果になりました。最近では、このようなショッキングな出来事が複数起こったことにより、天井崩落の危険性が一般にようやく認知されつつあります。そこで、私のこれまでの知見をより一層、世の中の役に立てるため、セコム科学技術振興財団の助成を申請させていただいたというわけです。

助成が行われた研究内容についてお聞かせください。

  大きく言うと、まずは、実際にそれぞれの天井を見て「この天井はどれくらい危険か」をはかるモノサシが必要ですから、この安全性評価の手法を確立する研究がひとつ。つぎに、人間の頭上に降り注ぐ天井の部材、照明、スピーカーの落下をどのようにして防ぐのかという、落下防止策を確立するための研究がもうひとつ、以上の2つです。

現在は、天井の安全性評価基準がないのですか。

  はい。はっきりしているのは「重たいものが、高所から落下すると危険」ということです。同じものが高所から落ちるのと低い所から落ちるのでは、人命に与える危険度に大きな違いがあります。そこで、一般の天井の部材を、高さを変えながら、人間の頭に見立てたダミーヘッドの上に落とし、どれぐらいの衝撃が加わるかを調べる実験を繰り返し行い、安全性の評価基準を作っているのです。裏話的で恐縮ですが、じつはこのような実験を行う場所を長期間確保するだけでも大変です。風の影響を受けない15縲怩Q0mという高い天井をもっている施設で、大きな音や壊れた天井材からの多量の粉塵を出しても良い場所というのはなかなかありません。高所に梁を通して、ウィンチを設置するには専門のとび職の人にお願いしなければいけません。実験中は近づけばケガをしますから、リモコン操作をするシステムも必要でした。

ほかにも研究を進められた際に、困ったことなどはおありでしょうか。

  専門家の方々の「誤った認識」です。地震により天井が落ちてきたから「耐震補強が必要だ」という短絡的な議論になってしまうことです。地震は直下型でもないかぎり、だいたい横にゆれるので、耐震補強とは横にゆれにくくする部材を追加するのが一般的です。そこで筋交いのようなものを天井裏に設置するわけですが、これにより、天井は以前と比べてますます重く、固くなり、地震の影響を受けやすくなる──つまりイタチごっこになるというわけです。この矛盾に多くの専門家が気付きません。たとえ横揺れを抑えられたとしても、最終的には「下方向」に落ちてしまうわけですから、意味がありません。同じ天井が同じ高さにある限り、落下時の危険性は変わらないのです。耐震補強の有無はほとんど関係ありません。
  国が準備している基準法改正案も、90%以上がこの耐震補強の観点にたって書かれています。国交相や文科省の役人は耐震族の専門家に取り囲まれてしまって、そこから出られなくなってしまっています。これを「規制の虜」といいます。

「規制の虜」とはなんでしょうか。

  3.11の福島原発では、非常用電源の喪失、メルトダウンというぜったいに起こしてはいけない事故がおきました。なぜ現代の日本の大企業と国が、ここまで情けない状況に陥ってしまったのだろうと不思議に思う国民は多いと思います。絶対起こしてはならない事故に「想定外」という言い訳が出てくること自体、国民の安全を軽視した、信じられない堕落です。国会の事故調査委員会の報告書には、この状況を説明する明快な答えの一つとして、「規制の虜」という概念が大きく取り上げられています。「規制の虜」とはノーベル経済学賞(1982年)受賞者のジョージ・スティグラー教授が明らかにした規制行政上の重大な問題で、国会の福島原発事故調査報告書では、この概念を用いて国民にも納得のいく大きな問題点をえぐり出しています。
  これは、本来規制をする側が、規制をされる側に取り込まれてしまい、規制される側に都合よく歪められてしまう現象です。「どのような事態が発生しても、最悪のケースは回避するものを作りなさい」と指示すればいいものを「規制される側」から「それをやると何かと面倒なのです。価格も高くなります。あなたがたは専門家でもないのにどうして分かるのですか」と、徐々に説得され、抱き込まれてしまうのです。この状態が長年続くと、規制される側のいいなりになってしまいます。