京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 教授 福原俊一先生インタビュー「医療の質改善を目的とした次世代診療支援システムの開発と活用」(第2回)

日本の医療は急速に発展し、現在では臓器別高度専門医療を多くの国民が受けられるようになりましたが、それだけでは十分ではないということでしょうか。

 患者の経済的状態に左右されることなく、公平に、比較的安い価格で高度な医療を受けられることは、日本が誇るべき素晴らしい医療制度です。
 ただし日本が世界に先駆けて超高齢社会に突入したため、大きな方向転換が必要になりました。特に75歳以上の超高齢者のほとんどが、複数の疾患を抱えています。それぞれの疾患に対応する専門科をいくつも受診させる状況は、ひじょうに非効率的であり、最適な医療を提供しているとは言えません。

そう考えると、臓器別の専門医ばかりを育てている日本の医療現場は、問題があると感じます。

 そうですね。さらに、高齢者自身の価値基準が多様化・複雑化しています。たとえば、ある患者さんは「長生きすること」が目的ですが、別の患者さんは寿命を伸ばすよりも「残りの人生をより良く生きたい」と考えています。後者の考え方を「クオリテイ・オブ・ライフ(QOL)」と呼びます。医学の世界でもQOLを測り、医療の評価などに活用する動きが盛んになってきました。

前回のインタビューでは、p-Listeners(R)を使って患者さんの症状や問題点を収集し、整理して要約することで、診療時間が短縮したとおっしゃっていました。そのぶん、患者さんと医師とのコミュニケ-ションの量と質が改善したとお聞きましたが……。

 診察の時間に余裕が生まれ、医師が患者さんの話に耳を傾けるようになったことは大きな前進ですが、それだけでは医療全体の質を改善することはできません。
 これも前回言いましたが、医師は自分の経験や慣習をもとに治療をしがちです。たとえばつい20年前までは、手術の際、感染症を防ぐために手術部位周辺の体毛を剃っていました。それが医療業界の常識だったのです。しかし実際は、逆に感染症の確率を高めていました。そのことを明らかにした疫学研究の結果が世に出るまで、多くの外科医や医療者はとくに疑問に思わず、剃毛を行っていたのです。
 また風邪を予防するうがいについても「水のみでうがいをするより、殺菌剤を入れてうがいをするほうが、効果が高い」と言われていました。しかし最近の京都大学の『かぜ研究』のデータから、水でも、殺菌剤入りの水でも、風邪予防の効果に大きな差はないということが分かりました。

病気のメカニズムに関する研究が盛んであるにもかかわらず、経験や習慣といった根拠のない医療があちこちで行われていることが、医療の質の低下を招いているということですか。

 実はそれ以前の問題があります。それは医療行為の根拠となる「エビデンス」が十分ではないということです
 エビデンスは、臨床研究によって構築されます。診療現場で生じるさまざまな疑問に対して、患者を含む人間あるいは人間の集団を対象に疫学的な手法で調査・研究を進めて、科学的な答えを得る。それがエビデンスになります。

医療の質を上げるためにはエビデンスが必要であり、そのエビデンスは臨床研究で作られるのですね。そうなると、臨床研究の質の向上も、重要な要素になりそうです。

 その通りです。まずは質の高い臨床研究を行うことができる医療者を育成しなければなりません。私は臨床医を対象に、臨床研究の理論と方法を系統的かつ集中的に学習できる大学院プログラム「MCRプログラム」を京都大学で立ち上げ、仲間と一緒に10年以上にわたって進めてきました。(www.mcrkyoto-u.jp
 しかし座学だけでは、臨床研究者は育ちません。医師の育成に研修が不可欠であるように、実践演習が必要なのです。日本は世界に先駆けて電子カルテを普及させてきたため、私は電子カルテから医療データを集めて、実践演習に用いるデータベースを作ろうとしました。
 しかし、大きな問題が2つありました。
 ひとつは、日本の電子カルテは当初オーダリングマシンのコンセプトで開発されたため、患者や診療情報の抽出・整理・統合といったデータベース機能が備わっていなかったことです。貴重な診療データを臨床研究に活用できない、ただの「膨大な医療データの貯蔵庫」でした。
 もうひとつは、患者さんから直接伝えられる情報が、ほとんどデータ化されていないことです。多忙な医師は、患者が訴える症状や「ものがたり」の詳細を記録する余裕がありません。短いテキストデータのみであったり、全く記録しないことも珍しくないのです。

患者さんは、痛みやしびれ、ふらつきがある等、何らかの自覚症状を必ず医師に訴えるものだと思うのですが、それはカルテに書かれていないのですか。

 明らかに深刻な状態であったり、医学的に問題があると医師が感じた場合は、患者さんの言葉はカルテに記入されます。しかし医師が自分の知識や経験と照らし合わせて「この病気でそういう症状が出ることはないはずだ」と判断すれば、それは「患者さんの気のせい」と、聞き流してしまうこともあります。
 しかしこれからは、そうした情報もすべてデータ化して整理していく必要があります。

これまでは電子カルテという医療データが存在しても、研究に使っていなかった、または使えない形で集められていた、ということですか。

 そうです。そこで今回、医療データベースを作るための仕組みを構築しました。
 電子カルテは仕様が各社バラバラであり、必要な情報を抽出しようとしてもメーカーによって出てくる情報が異なるため、データベースの構築は困難でした。
 しかし、仕様が統一されている医療データが3つありました。電子化された「医療保険(レセプト)」「DPC」そして「検査結果」のデータです。
 レセプトとDPCは、厚生労働省に提出する書類であり、仕様が完全に統一されています。レセプトは患者に行った個々の診療行為に対する診療報酬を算出するため、DPCは入院患者のDPC病名をもとに包括的な診療報酬を算出するための資料です。

 血液検査をはじめとする臨床検査結果は、検査会社やソフトによって仕様に多少のばらつきはあるものの、基本的に「いつ、どの患者に、どのような検査を行い、どのような結果が出たか」という内容であるため、情報の抽出と整理が比較的簡単に行えます。
 この電子レセプト・DPC・検査結果の3つの電子データを組み合わせることで、仕様が異なる電子カルテには触らずに、臨床研究に活用できる医療データベースを構築できるのではと思い至ったことが、今回の研究のキッカケです。