東京大学情報理工学系研究科 教授 坂井修一先生インタビュー「情報法学・マネジメント論と侵入防止技術の融合による超セキュア情報システム」(第2回)


国際社会での標準化を目指すなら、新しいトップ技術を生み出すより、大衆化した既存技術を応用する方が良いということですか。

 トップ技術ではなくとも、トップレベルに近く、かつコストパフォーマンスが最適な技術ですね。それ自体は、大衆レベルの技術ではないのですが、使われるときは一気に広まります。
 開発に多額のコストをかけて特別なオペレーティングシステムを構築すれば、高レベルの技術を作ることができます。しかしそれがどれだけ素晴らしい技術でも、社会で活用されなければ意味がありません。技術そのものの価値が認められたとしても、導入に高額のコストがかかるのであれば、企業や団体がその技術を採用するとは限りません。
 前回もお話ししたように、今の社会には「完璧ではない状態で販売されている情報システム」が溢れていて、大勢の人たちが使用しています。その中で公開されているソースに高度なアイデアや技術を加えて、セキュリティを上げていくことも、ひじょうに重要なことなのです。IT技術は大衆化されましたが、IT分野全体が抱える課題を解決し、良い方向へと進化させていくのは、専門性を高めた研究者の役目であると思っています。

最後に、このご研究の課題や、今後の展望について教えてください。

 この研究で最も重視しているのは、社会実装です。法律・マネジメント・技術を合わせた総合技術として、世の中に提案していくつもりです。
 ただ、この3分野の研究に加えて、実は人間の意識の問題が大きいと考えています。
 今の日本の教育は、専門性を高めることばかりに力を注ぎ、教養分野の教育がおろそかになっている気がします。学生たちも、社会で即戦力になるスキルを身につけることを重視して、哲学・思想や根本原理を学ばない人が増えています。
 私は、これは大きな問題だと思っています。何が正しくて何が悪いことなのか、それを学ぶのが哲学です。ドフトエフスキーが理解できない人には『罪』の意味も分かりません。正しいことと悪いことの区別がつかず、お金が儲かれば良いと考える人間が増えてしまったら、いくらセキュリティ技術を高めても意味がありません。

技術を高めても、それを扱う人間が情報を漏らしてしまうということですね。

 そうです。システムの防御力を高めることは重要ですが、本当は「どういう社会にならなければいけないのか」という根底からしっかりと考えなければいけません。科学技術を人間の欲望の『増幅装置』ではなく『制御装置』に転換し、セキュリティやディペンダビリティ(信頼性)を高めるためにも、電子情報社会にとって最も脅威になる相手は誰か、人間の悪意とは何か、ぜひドフトエフスキーなどの文学やカントなどの哲学を読んで学んでほしいと、あちこちで話をしているところです。

私たちの個人情報を保護するためには、法律・マネジメント・技術に加えて、それを使う人間と社会を含めて、
一人ひとりが広い視野で考えなければいけないということが、とてもよく分かりました。
 お忙しいなか長時間のインタビューにお答えいただき、ありがとうございました。