社会技術分野
人間情報・社会情報に基づく安全安心技術の社会実装

西田 佳史 先生

領域代表者 
東京工業大学 工学院機械系
教授

研究者のもとを気軽に訪れて研究の可変性について聞くことが重要

研究の可変性がイノベーションに繋がる

また、イノベーションを実現するためには、基礎となる「考え方」が普及するだけではなく、それを受け入れるための「社会システム」を整備しなければなりません。 

例えば現代の高齢者は、定年後もできるだけ長く職に就いておきたいと思う方々が大勢います。しかし、勤務中に倒れられてしまうと企業は監督責任を問われます。ですから「年齢差別をなくそう」「高齢者雇用を促進しよう」という声が上がったとしても、実際には、企業がそのようなリスクを負う前に退職、という仕組みになっているのが現状です。例えば、そこで「高齢の労働者にはスマートウォッチの装着を義務化する」といった方向で社会システムの整備を目指すというのはどうでしょうか。健康状態を随時モニタリングすることで、もしもの事態にいち早く対応できます。これはリスク管理をふまえた高齢者雇用システムの構築であり、「高齢者でも働ける」というイノベーションを起こす可能性を秘めています。また、企業勤務は重要な社会参加の機会とも言え、認知症の予防にも繋がるでしょう。

歯ブラシとスマートウォッチのどちらにも共通するのは「最低限のリスクを許容する」という新しい「考え方」であり、それを支える「技術」「社会的仕組み」が三位一体となってはじめて社会は進化を遂げるのです。

こうした課題の解決を捉えるのに、私が「ABC理論」と呼んでいる考え方が役に立つのではないかと考えています。まず、社会に「変えたいものA(以下A)」が存在するとします。Aが社会問題として存在するのは「変えられないものB」、つまり操作できないものを操作しようとしている可能性があります。そこに新たな要素である「変えられるものC」を追加することで、「解くことのできない問題」を「解くことのできる問題」へと問題構造を変化させる方法です。

私のこれまでの経験から、当初問題解決のために用意した仮説ABCの構造が、現場の作業員、またユーザーと対話する中でA’、B’、C’へと変化していくのです。本領域においても、採択研究のテーマのABC構造がどのように変化していくかという「研究の可変性」に注目しています。

また、この可変性こそが社会実装のための効率的な手法であり、そこに社会実装可能な技術革新が生まれるのではないでしょうか。私は今回、直接研究をするわけではありません。ですが、本領域の研究者の可変プロセスをデータ化し、パターンを見つけることで、俯瞰的な視点からイノベーションの糸口を掴みたいと考えています。

日常は研究アイデアの宝庫である

私が日常生活の問題を中心に取り組み始めたのは、小児科医の山中龍宏先生のお話を聞いたことがきっかけです。「子どもの傷害事故は頻繁に発生し、かつ重症度が高くなるにも関わらず、根本的な対策がシートベルト装着を代表とする注意喚起といった従来通りの効果が低い方法に留まっている」「日常の問題は基礎研究にならないというのは誤りであり、アイデアの宝庫である」という言葉通りでした。

まずは、怪我をして病院に来る子供から聞き取り調査をするところから始めました。すると、子どもが遊具から転落し、腎臓が破裂したという事例に引っかかりを覚えました。子供が成長していくにあたって、多少の怪我はつきものです。自転車の練習や鉄棒など怪我をしながら上達して成長していくものだからです。しかし、大きな後遺症が残ってしまっては、成長の妨げになります。

子どもに人気の遊具が安全とは限らない

こうした「許容できないリスク」を回避するために必要なのは「予防」という概念です。一般的に派注意喚起が該当しますが、「公園の遊具で遊ぶな」という注意喚起をしては、健全な成長が見込めなくなってしまいます。子どもの成長を阻害せず、許容できるリスク内に納めることのできる方法を探るべく、当事例を徹底的に調査しました。

結果、腎臓破裂の事例で問題となっていた遊具を調べると、らせん状の階段を上り、上から滑り降りるタイプのものであることが判明しました。

しかし、子供からの聞き取り調査では、論理的な状況説明を聞き出すことができず、階段のどのあたりから、どのように落ちたのかがわからないため、研究は暗礁にのりかけました。