ジェネティック・シティズンシップに基づく難病患者研究参画の基盤整備に関する研究
渡部 沙織 先生

東京大学先端科学技術センター 人間支援工学分野 中邑・近藤研究室 日本学術振興会特別研究員PD

欧米諸国でこのような動きがあるとは、まったく知りませんでした。先生は、なぜこの研究を始めたのですか。

博士課程では、日本の戦後の難病政策に関する研究をしていました。医療政策としては、難病政策は不思議な分野で、日本語の先行研究すらとても少ないですし、さらに使用できる公的な統計データがあまりありませんでした。そのため、厚生労働省や各都道府県の旧国立療養所、国立病院などをまわって、当時の紙の要覧を電子化してexcelに病床数などの基礎データを入力し直すところから始めました。

霞がかかったような状況でしたが、次第に日本の難病政策のユニークな特徴がわかってきました。そもそも社会保障としてではなく、科学研究事業として1972年から2014年まで40年以上維持され、患者さんへの医療費助成は、国に臨床データを提供した事に対する研究謝金として位置づけられてきたのです。

結果として難病患者への福祉として機能していましたが、そもそもは研究事業であり、科学と福祉のハイブリッドな公費医療として運用されてきたわけです。

難病政策の研究は現在も発展的に継続していて、国立病院や国立療養所と公費医療が日本の医療システムに果たした役割の解明に努力しています。

一方で、修士課程の時に調査のためにアメリカの患者組織を訪ねて、カルチャーショックを受けました。患者さんやご家族がCEOとして巨大なレジストリや国際会議の運用を自ら担っており、研究者と対等な立場であるばかりか、患者さんが研究費の助成金を提供したり、疾患研究の世界会議を主催したりしていました。科学政策における患者の位置付けが、日本とは全く違う水準にありました。

ちょうどその頃、日本の難病政策では42年ぶりの大変革が起きて、2015年から法制化され社会保障化されました。日本の希少疾患患者さんにとって次の長期的な課題は、社会参画と研究参画だと考えるようになったのです。

日本の難病政策は国際的にみても独自の半世紀の歴史があるが、患者の研究参画は欧米諸国と比べると立ち遅れている

それでは、今回のご研究で調査されたことや、分かったことを、具体的にお教えください。

本研究では、「ジェネティック・シティズンシップに基づく難病患者研究参画の基盤整備に関する研究」として、先進諸国で展開してきたジェネティック・シティズンシップ研究のパースペクティブを踏まえ、日本における患者を中心とする研究参画の実相と課題について、医療社会学の手法を用いて調査分析しました。シティズンシップ・モデルに基づく患者の主体的な研究参画を実現する制度的基盤、政策的含意について、明らかにする事が総合的な目標です。

そのために本研究では、(1)日本における患者の研究参画の実相に関する聴き取り調査、(2)患者の研究参画の障壁に関するウェブ・郵送アンケート調査、(3)アメリカ、欧州の患者レジストリに関する調査、(4)日本の患者登録・レジストリに関する調査、これら4 つのフェーズの調査を実施しました。

前半1年度目の(2)では、日本国内で難治性疾患の公的研究事業を採択している210名の研究者の方と、日本国内の希少性・難治性疾患の患者団体170団体を対象に、患者の研究参画に関する意識調査を実施させていただきました。研究者、患者ともに、患者の研究参画を肯定する回答が多数を占める一方で、参画を保障するための社会的リソースや公的サポートの欠如が如実に明らかになりました。患者団体は専任スタッフのいないボランティアによる運営が主流で、研究費の配分や、公的政策による直接的な財政リソースは非常に稀です。また、医学研究や研究倫理に関する公的教育プログラムの必要性も、分析結果から明らかになっています。

後半は、アメリカで現地調査を実施させて頂きました。「研究の推進には患者の参画が不可欠」という合意形成がなされているからこそ、患者組織が利活用できる社会的リソースが多く存在しています。公的な政策としては、NIHとFDAが、それぞれ患者レジストリのスタートアップ支援や研究参画支援を行っており、患者会が主導する研究プロジェクトに対する連邦議会の公的資金提供もあります。また、製薬企業からの資金提供、市民からの寄付も非常に盛んですね。大規模なレジストリを運用している患者会では、生物学や薬学のPh.D.を持っている専門の常勤スタッフを雇用している組織も多いです。

また、ヨーロッパではEUが、EUPATIという患者向けの研究参画のための教育プログラムを運営しています。無料でExpert Patientの養成課程を受講する事が出来ますが、欧州各国の税金と製薬企業の連合体からの拠出によって、資金提供されています。

日本では、患者会が研究のために直接申請できる助成や基金はまだ殆どありませんし、財政的なリソース確保の手段が限られています。前述の意識調査では、日本の患者会の7割以上が事務所などの拠点を持たず、有給スタッフもいない状態で運営されています。年間の予算規模は6割以上が100万円未満です。ステークホルダーとしての社会基盤を整備していく事に、長期的に取り組みたいと思っています。

ジェネティック・シティズンシップの概念が日本で普及すれば、そうした政策への議論が進んでいくのでしょうか。

そう考えています。事例は少数ですが、日本でも患者を中心としたレジストリやゲノム研究参画が実際に行われています。本研究で、日本国内で研究参画に取り組んでいる患者組織や研究者の方々に調査もさせて頂きました。アメリカや欧州のように「患者が研究に参画するシステム」を醸成する土壌はまだまだこれから作り上げていく段階ですが、こういった先進的な事例をきちんと分析して紹介していく事も、今後の自分の仕事の一部だと思っています。

希少性・難治性疾患の患者を見つけてアプローチすることは、研究者にとって大変なこと。患者側が組織化することで研究が推進され、患者側も病気が社会に認知されるなど、双方にメリットがある