ジェネティック・シティズンシップに基づく難病患者研究参画の基盤整備に関する研究
渡部 沙織 先生

東京大学先端科学技術センター
人間支援工学分野 中邑・近藤研究室
日本学術振興会特別研究員PD

助成期間:平成29年度〜 キーワード:医療社会学 希少性・難治性疾患 患者の研究参画 研究者ホームページ

2018年明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程修了、博士(社会学)。博士課程の研究は第8回(平成29年度)日本学術振興会 育志賞を受賞。日本学術振興会特別研究員DC1を経て、2018年より日本学術振興会特別研究員PD(東京大学先端科学技術研究センター)。医療社会学の視点から、希少性・難治性疾患の政策、患者の研究参画システムなどを研究している。

「ジェネティック・シティズンシップ(遺伝学的市民権)」とは、初めて聞く言葉ですが、どのような意味なのでしょうか。

20世紀末から21世紀初頭にかけて、アメリカを中心に医療人類学や医療社会学の領域で登場した比較的新しい概念です。アメリカや欧州、そしてごく一部ではありますが日本でも、希少疾患の患者や家族自身が疾患の研究の推進に積極的に関与する実践が行われてきました。

特にヒトゲノム研究が推進された1990年以降、希少疾患の領域では、患者レジストリやバイオバンクを構築することで、要因遺伝子を同定したり、基礎・臨床研究を加速する事に患者組織が寄与してきました。

ジェネティック・シティズンシップは、自らのバイオメディカルなデータを社会に参画する手段として積極的に利活用し、患者としての新たなアイデンティティを志向する、医療における新しい個人の権利と責任の議論の総体に関する幅広い概念なのです。

患者はどのように、研究者にデータを提供しているのですか。

データ提供のあり方は様々ですが、ジェネティック・シティズンシップ的なあり方としては、例えば‘Patient-Powered Patient Registries (PPRs)’、患者を中心とした患者レジストリがあります。

従来のトラディショナルな患者レジストリは、医療機関と研究者が運営者となり、患者の臨床情報のデータベースが構築されるというものでした。しかし希少疾患や遺伝性疾患は、コモンディジーズ(有病率が高い一般的な疾患)と比べると患者数が非常に少ないため、国レベルあるいは欧州などでは国を超えて地域レベルで患者さんのデータを集める必要があります。

疾患ごとのゲノム研究が活発化した2000年代から、特にアメリカでは、患者組織が中心となって患者レジストリを構築する事例が増えていきました。形態は多様で、患者さんの登録システムのみのシンプルな形態もあれば、ゲノム情報やサンプルのバイオバンク、臨床情報やナチュラルヒストリーなどが含まれている大規模なものもあります。今では、NIH(アメリカ国立衛生研究所)やFDA(アメリカ食品医薬品局)などの機関も、患者を中心とした患者レジストリの構築を公的に支援しています。

患者が研究に参加するスタイルが、大きく変わったのですね。

参加者という側面も勿論ありますが、一番大きな変化は、患者さんや患者組織が研究を推進するステークホルダーの一部として認識されるようになったという事だと思います。

本研究では、研究参画の政策のあり方を、「PPIモデル」と「Citizenshipモデル」の2つのモデルに大きく分けています。

PPI(Patient and Public Involvement)モデルは、医学研究に対する国民の税拠出を根拠として、公共的・民主的な権利保障を行う形態です。臨床研究のデザインの設計に患者が関わったり、倫理審査や意思決定のプロセスに患者・市民が参加するなどが、イメージしやすいかもしれません。

一方でCitizenshipモデルは、更にもう一歩踏み出して、患者の遺伝情報やバイオメディカル情報を、本人が主体的に社会参画の手段として利活用する研究参画の形態です。Citizenship概念はもちろんアメリカ社会の市民権に関する諸議論から大きな影響を受けていますが、議論の体系は実は複雑で、準市場を通じた医療サービスの受給において、他の者と同等の水準のサービスを受けるための、医療における消費者運動の影響などもあります。「高度な科学政策」と「バイオメディカルな市民権」や「ゲノムに基づく社会的アイデンティティ」などが結びつく、ダイナミックな議論ですね。

2つとも、科学研究の推進を目的としている事は共通しています。特に希少疾患の領域では、研究の推進には患者さんや患者組織の参画が不可欠であるという合意形成がなされて、研究を加速する新たなエンジンの一つとして捉えられています。