安全・安心のための即時耐震性能表示装置の実証研究
楠 浩一 先生

東京大学 地震研究所 教授

システムを実装した装置も開発済みでしたが、社会実装に向けてクリアしなければならない課題とは、何でしょうか。

とくに時間がかかったのは、計測値から3折線に近似した性能曲線を出力するモデル化技術と、建物の損傷度の区分である「軽微」「小破」「中破」「大破」の判定方法の確立です。

応急危険度判定では、調査員が目視で柱のひび割れ幅を確認して、建物の損傷度を算出。さらに建物の沈下や隣接する建造物の危険度なども加味して「調査済み」「要注意」「危険」を判断し、紙を貼っていきます。

その具体的な手順は公開されていますが、たとえば大破と中破では何が違うのか、損傷度の各区分の意味がとても曖昧だったため、このシステムで応急危険度判定に準じた評価を行うためには、その定義を改めて確認する必要があったのです。

幸いにも、応急危険度判定が作成されたときの報告書が見つかり、余震がきたら倒壊するものが大破、大破の領域までエネルギー的に2倍を下回っている領域が中破、大破の領域まで2倍以上の余裕がある領域が小破、ひび割れがあっても鉄筋に問題がないものは軽微という、具体的な定義を確認できました。

実は調査員も、各損傷度の意味を把握しないまま調査していた。その基準でしか判定できなかったため、疑問に思っても手順通りに行うしかなかった

損傷度とは、余震に対する危険度を表したものだったのですね。

考え方としては簡単ですが、この定義を構造ヘルスモニタリング用に再構成し、被災度区分の評価方法を開発するためには、それが一つの解として求められるよう定式化する必要がありました。しばらく悩みましたが、ある日、新幹線の移動中にふと思いついてメモ帳で実際に計算してみたところ「これはいけそうだ」という式を構築することができました。

その後のE-Defense実験によって、開発した被災度区分評価方法が有効であることは、目視による被災度区分判定結果、地震保険の損害算定結果との比較によって検証できました。

また、機械学習で部材毎の残余耐震性能判定を自動化する方法も検討しており、加速度センサで変形角が推定できれば、部材の損傷状態を高い精度で自動判別できることがわかりました。これらの研究成果が認められ、2021年度の日本建築学会賞を受賞することができました。

損傷判定結果の精度向上にもAIを導入。90%以上の正答率となった

ついに、応急危険度判定を自動的に行う装置が完成した、ということでしょうか。

はい。日本建築防災協会は数カ月前、応急危険度判定に準じたシステムの評価を開始し、評価で認められた手法に対し、まずは危険度が最も低い「調査済み」判定につては従前の応急危険度判定と同等であると正式に認めることにしました。これを申請するのは私たち研究者ではなく、この即時耐震性能表示装置を商品化して販売・メンテナンスする業者であり、社会実装の段階に入ったといえます。

ただし、実はこの装置を設置しても、調査員が現地に足を運ぶ必要性は残ります。余震に対する建物の安全性は構造性能だけではなく、天井や看板が落ちていないか、ガラス窓が割れていないか、隣の建物が倒れかかってきていないか等の判断も含まれるからです。

ですが巨大地震が発生したとき、この装置を導入している建物はすぐに被災度が算出され、そのデータは国の研究所に転送されます。どのエリアで深刻な被害が出ていて、どこが比較的安全なのか、短時間でおおよその状況を把握できるため、迅速に優先順位を決定し、応急危険度判定の調査員を派遣できるようになると期待しています。

安全な避難所の確保や避難誘導などが、効率的に進むということですね。ところで、さきほど地震保険の損害判定結果との比較とおっしゃいましたが……

地震保険の損害算定も、調査員が被災した建物を目視で確認して行っています。本装置が判定する被災度判定と、地震保険の損害判定はほぼ同じであることがわかったため、日本損害保険協会に手法とルールを提案しました。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、国内外のセンサの設置や保守を予定通り進めることができず、本研究は2年ほど遅れが生じました。ですが、国の認定開始や損保協会への提案など、思いがけずタイミングが合致して進んだ面もあったため、結果的にはこの時期に完成できて良かったと思っています。