先端医学分野
多階層医学プラットホーム構築のための基礎技術開発

桜田 一洋 先生

領域代表者 
理化学研究所 医科学イノベーションハブ推進プログラム
副プログラムディレクター

従来の生命科学とは異なる「オープンシステムサイエンス」

「多階層医学プラットフォーム」を構築するにあたり、大きく3つの研究開発の階層を想定しています。非平衡開放系の「オープンシステムサイエンス」という理論が基礎にあり、その上で「要素技術」を開発し、さらにその上に、技術が統合された「データプラットフォーム」が出来上がると考えています。

この領域では要素技術の研究に焦点を当てていますが、まずは基本的なものの見方について、順を追ってご説明しましょう。

「制約された自由度」こそが、その生命の特徴である

「細胞分裂のメカニズム」という言葉があるように、生命医科学はこれまで、生物を機械に例えて説明してきました。実際の生物が、あまりに複雑だからです。

機械に例えることで理解が容易になり、さまざまな研究成果があがりました。しかし「生命は機械に近似している」という認識から、徐々に「人間と機械は同様の説明が可能である」と錯覚するようになってしまい、大きな問題が生じています。

生命医科学の研究は、機械とは異なる生物固有の特徴を踏まえて行うべきです。「複雑系の科学(オープンシステム)」という概念がありますが、ここでも複雑系を単純なモデル化、抽象化する傾向にあります。そのため私は、従来の複雑系の科学とは別の「複雑系のための科学」、生命のRealityに迫る科学を「オープンシステムサイエンス」と呼んでいます。

「制約された自由度」が非平衡開放系の多様性を生み出す

オープンシステムサイエンスを理解する上で欠かせないのが「非平衡開放系」という概念です。非平衡とは「安定せずに変化し続けている状態」、開放系とは「外部から物質やエネルギーの交換がある状態」のことです。

この非平衡開放系の特徴の一つが「制約のある自由度」です。

機械は設計された通りにしか動きませんが、我々人間の身体には「自由度」があります。しかし、人間から突然トラが生まれることがないように、その自由度は決して無限ではなく、ある程度の制約があるのです。

もう少しわかりやすくするために、音楽に例えて説明しましょう。

ミュージシャンには独自の「スタイル」があります。そのため、私たちは「○○っぽいメロディーだな」「歌詞が○○らしいな」と感じます。もし、ミュージシャンが無限の自由度を持つ存在であれば、「○○らしい音楽」という感覚は生まれません。この「スタイル」は変化することもありますが、それはロックや演歌といった一定範囲内で推移します。

この「制約された自由度」こそが、その生命の特徴であると言えます。

では、何が自由度を制約しているのか。キーワードとなるのは「自発性」と「同期」です。

機械はスイッチを入れなければ動きませんが、生物は外部からの働きかけがなくても動きます。内部に「自発性」を持っていることが、機械と生物の大きな違いです。意識がないはずの睡眠時に夢を見ることも、身体の組織が絶えず細胞分裂を繰り返すことも、自発性によるものです。

「同期」は、非平衡開放系が持つリズム(振動)の相互作用であり、自ら秩序を形成していく現象を指します。

例えば複数のメトロノームを自由に動く板の上に置くと、最初はバラバラに動いていても、しばらくすると全ての針が、完全に同一のリズムを刻むようになります。これは誰かが施したプログラムによるものではなく、複数のシステムが同期することで、より大きな秩序を生み出しているのです。

生物の身体も、あらかじめ設定されたプログラムに従って成長しているわけではありません。自由度を持つ細胞や組織が同期することによって、自ら秩序を見出し、複雑な構造へと進化していくのです。「同期」という考え方を用いることで、予測の精度が上がり、データ解析だけでは解決しなかった課題を克服することができるはずです。

個々の特徴をデータ化し、未来を予測する

非平衡開放系は、外部との関わりにより自ら変化を続けることで、ある秩序を形成します。そして、この非平衡開放系を計算可能な状態で表現するための技術が、本領域における「要素技術」です。

個人の特徴をデータ化し、未来を予測することによって、予防医学は大きく発展する

ビックデータを解析すると、個人が持っている自由度や制約を、他者との比較によって発見することができます。例えば、ある人の「今日のデータ」は様々な種類のデータの集まりであり、ベクトルで表現できます。そうしたデータをもとに予測される「明日のデータ」も、やはりベクトルで表現が可能です。個人の制約された自由度(スタイル)を「状態空間の中である状態が次の状態に推移するときの状態遷移の確率」として表すことができるのです。

個人のスタイルをデータ化し、数年後や数十年後の状態を予測することができれば「60歳まで健康を保ちたいなら、このような生活習慣を身につけなさい」というアドバイスを個性に合わせて行うことが可能になります。オープンシステムサイエンスのもとに様々な要素技術が確立することで、今よりもはるかに高い確率で病気の予防が可能になるわけです。