ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)分野
現代の科学技術の方向性と評価のあり方を探る

小林 傳司 先生

領域代表者 
大阪大学 COデザインセンター
特任教授

ELSIは研究のトラブルーシューターではない

近年、日本においてもようやく、ELSIの重要性を指摘する声が、政策関係者や産業界から聞こえるようになってきました。それは、現代の科学技術が真理の追究という古典的な価値に加え、社会的課題の解決や、イノベーションを通じた経済的発展への貢献を期待されているためです。最先端技術はもはや科学者のものだけではなく、最終的に使用するのは社会で生きる一般市民であり、彼らの価値観に合致したものでなければいけません。  

しかし、日本では一般市民はもちろん、科学者もELSIを誤解しているように感じます。研究が進み、社会に実装する最後の段階で、「非合理に」反対する人々を説得するといった「トラブルシューティング」のような役割と認識したり、研究の外付けとして人文社会科学者に「外注」するような考えが広まっています。

ELSIへの取り組みは、巨額の科学技術研究資金の予算計画内に明確に位置付けて、研究と併走して行うリアルタイムテクノロジーアセスメントとして実施すべきである、というのが私の考えです。

ただし、ELSIは研究との距離感が非常に難しい分野でもあります。研究との距離が遠く、具体的な内容を理解していない状態での議論は意味がありません。逆に距離が近すぎると、研究者側の考えに取り込まれてしまう危険性があり、本質的な問題について語ることができません。あくまで客観的立場から俯瞰して、研究に対する評論を行う必要があるのです。

科学技術をひとつのエンタープライズとして考える

ELSIを「研究の進行を妨げるブレーキ」と捉えている研究者も、多く存在します。その側面があるのは事実ですが、車の運転に例えると、車はアクセルだけではまともに運転できません。ブレーキがうまく機能するからこそ、目的地まで安全に移動することができるのです。  

このようなマイナスイメージは誤解なのです。

「和田心臓移植事件」 の事例を見てみましょう。1968年に話題となった日本最初の心臓移植で、まだ臓器移植に関する法整備も、社会的に許容されるか否かの議論もされていない中で、実験的に手術が行われました。 すると、移植を行った札幌医科大学の和田寿朗医師には「まだ存命の人間の心臓を摘出したのではないか」という嫌疑がかけられ、殺人罪で刑事告発されてしまいました。その後、和田医師は不起訴となりましたが、日本における臓器移植は30年間止まってしまったのです。

法律に違反していないことと、社会的に許されることは必ずしも一致しない。そのため新しい技術の社会実装は、慎重に議論しなくてはならない

ですが、適切なタイミングで議論や法整備ができていれば、和田移植が問題視されることはなく、臓器移植に関する研究が進められ、多くの患者さんを救ったかもしれません。ELSIは決してサイエンスの敵ではありません。むしろ研究の初期段階から検討すべき問題なのです。そもそも研究開発とELSIは分けて考えるのではなく、それぞれを研究というひとつのエンタープライズの不可欠な要素として捉えるべきです。

たとえば航空会社は、パイロットだけではなく、航空機の整備や点検を行う航空整備士や、地上要員を配置し、パイロットに飛行経路の指示や着陸誘導等を行う航空管制官などがそれぞれの役割を果たすことで、はじめて安全なフライトが実現します。科学技術も同じで、技術開発を行う研究者だけではなく、その安全性を管理して正しい方向へと導くELSI研究者とともに進めることで、その技術を社会で安全に活かすことができるのです。

日本はエマージング・テクノロジーのELSI分野が周回遅れである

AIやバイオテクノロジー、量子コンピューターといった、社会実装を前提とした最近の先端技術をエマージング・テクノロジー(emerging technology)と呼びます。海外ではエマージング・テクノロジーに関するELSIの議論はすでに開始されており、そこに参加する人文社会科学者が多数存在します。

しかし日本では、そうした研究者が圧倒的に不足しているため、重要な国際会議において、欧米の研究者が提唱するアジェンダセッティングをすべて受け入れるしかない、というのが現状です。日本は研究の要素技術においては勝負できるものを持っていますが、倫理的・法的側面に関する議論の蓄積が少なく、海外と対等に議論することができていません。

すでに、大学の研究機関と大手IT企業の研究開発組織の共同研究がスタートしている。情報系の研究者たちは、コンプライアンスのチェックシートをクリアすれば終わりではないことを認識している

たとえば、情報技術にかかわるプライバシーやデータの扱いをめぐって制定されたGDPR(General Data Protection Regulation)は、ヨーロッパの歴史や思想に強く影響されたものです。人間の尊厳を保護する観点から議論を展開するというコンセプトが基礎になっていますが、それをEU圏だけでなく世界中に適用しようというものなのです。アメリカはGDPRを必ずしも全て受け入れるというスタンスではなく、あくまで「個人の自由」という考え方に重きを置いています。では日本はどのような原則、思想を基にこの問題に対応するのか。この点で、GDPRをふまえた政策提言について研究しているのが宮下紘先生です。この喫緊の課題に対して、いち早く問題意識を持って取り組む視点と意欲は評価に値するものであり、今後の活躍に期待しています。