ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)分野
現代の科学技術の方向性と評価のあり方を探る

小林 傳司 先生

領域代表者 
大阪大学 COデザインセンター
特任教授

科学哲学 科学技術社会論

1983年東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専攻博士課程修了。同年法政大学兼任講師となり、青山学院大学非常勤講師、福岡教育大学教育学部助教授を経て、2000年に南山大学人文学部教授、同学社会倫理研究所所長に就任。2005年に大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、2015年に同学理事・副学長、2020年同学名誉教授、同学COデザインセンター特任教授となり現在に至る。また、JST社会技術研究開発センター長を務める。

科学技術のすべてが福音であるという常識に疑問符がつき始めた1970年代

1970年代までは科学は「福音」であり、新しい科学技術が開発されると、社会に即実装されることを誰も疑いませんでした。たとえば洗濯機の発明は女性の家事負担を軽減し、睡眠時間が伸びるという恩恵を生みました。そのような時代には、技術のもたらす正や負の副次的影響を総合的に予測・分析するテクノロジーアセスメントという発想はなかったのです。

公害問題などを背景として1970年代に発生したテクノロジーアセスメント(研究に対する負の側面の認識)は、ELSIを考えるうえで重要な論点となる

科学技術は社会や人々に恩恵を与えてくれるもの、という常識に疑問符がつきはじめたのは、環境問題や公害問題などが社会問題として認識されるようになってからです。科学者自身も、自らの研究の社会的影響について考えるようになります。アメリカでは遺伝子組み換え技術が開発されたことが転機になりました。

1973年、カリフォルニア州アシロマで、遺伝子組み換え技術を使用した生物体が地球環境に放たれた場合のリスク、つまりバイオハザードについて評価し、拡散を防ぐ技術が確立されるまで実施を保留する、という提案がなされたのです。これは研究モラトリアムと呼ばれています。そしてこのような検討を受けて、1975年にバイオハザードへの対処法を議論する国際会議「アシロマ会議」が開催され、研究者自身が自ら提案した事例として、科学技術の規制モデルのひとつになりました。

アメリカで誕生し、ヨーロッパとアメリカでそれぞれ発展を遂げたELSI

ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)の概念が提唱されたのは、1990年のヒトゲノム計画からです。1980年代からDNAの増幅技術であるPCR(Polymerase Chain Reaction)が登場し、DNAの塩基配列を解読する「DNAシーケンサ」の性能が向上することで、ヒトゲノムのDNAをすべて解読するというプロジェクトが構想されました。

その際、ELSIという概念を最初に提唱したのが、ヒトゲノム計画の責任者であり、DNAの二重螺旋構造の発見によってノーベル賞を受賞したジム・ワトソンです。彼の働きかけにより、ゲノム解読のための研究予算の3%を、ゲノム研究の進展がもたらす倫理的、法的、社会的問題群の研究にあてるという仕組みが開始されました。

ヨーロッパでは、ELSI研究の発足から現在のような議論に至るまで30年を要した。日本も早急に議論を始めるべき

出発点が生命科学であったため、バイオテクノロジー分野では議論されたものの、当初はそれ以外の分野ではほとんど関心をもたれませんでした。しかし、アメリカではその後ナノテクノロジーなど、他の分野にもELSIが拡大されていきました。

一方、ヨーロッパでは「科学技術が一般社会に実装されるのであれば、その技術の正の側面と負の側面を受け取る一般市民もテクノロジーアセスメントの議論に加わるべき」として、市民参加型アセスメントが開発されていきました。これはその後のRRI(Responsible Research and Innovation:責任ある研究とイノベーション)という考え方に取り込まれていきます。「社会実装に向けて研究者自身が責任を持った研究活動をするだけではなく、能動的市民の参加も必要である」という意図が込められた、ELSIの議論が進んだ欧州ならではの発展的な概念と言えるでしょう。