AI社会における人間中心の個人情報保護政策
宮下 紘 先生

中央大学 総合政策部 教授

EU一般データ保護規則(GDPR)では、EU域内の個人データの処理や移転について厳しい制約があり、違反するとその企業の全世界における総売上の4%という莫大な制裁金が課されるそうですね。

ヨーロッパが個人情報の保護を重視する背景には、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺という歴史があります。ユダヤ人であるかどうかは、見た目では判別できません。そこでナチスは、人々の職業や住居、言語、出身国といった個人情報を収集し、繰り返し相互参照・選別するという作業を通して、ユダヤ人を特定していったのです。

現代の情報処理技術であれば、どれほど瑣末なデータであっても個人を特定することが可能です。個人情報の悪用が人間の精神や行動に影響を与え、人生を狂わせてしまうことは、歴史が証明しているのです。

そのためGDPRの前文4項には、個人データの処理は人類に寄与しなければならない、と書かれています。違反者に制裁金を課すのは、技術を、人間にとって安全な方向へと導くことが目的なのです。

日本にはそうした歴史や哲学がなく、個人情報に関わる事件が起きても「情報漏洩が怖い」という感情論で語っている気がします。

その感情は自然なことですが、最も警戒すべきは情報漏洩そのものではなく、個人情報が本人の同意なく、または本人の期待に反する活用が行われて不利益を被ることです。

たとえば2019年に起こった「リクナビ事件」では、就職活動支援サイトのリクナビが、サイト内行動ログ等から登録者の内定辞退率をAIが予測し、そのスコアを企業に販売していました。

仮に、自動車が好きで自動車ディーラーの求人情報を中心に見ていた人物がいるとします。その人はふとしたキッカケから生命保険会社に興味を持ち、応募しました。ですが、AIは閲覧履歴から「この人物は生命保険会社が第一志望ではない。内定を辞退する確率が高い」と判断するでしょう。すると会社側は、その人の採用に積極的になれません。本人が知らないところで勝手に決めつけられ、就職に不利な状態が作られてしまうのです。データに従属した生き方が作られてしまうのです。

個人データからその人の趣味や嗜好、経済状況などの人物像を推定することを、プロファイリングといいます。人間は唯一無二の存在であり、二人として同じ人間はいません。ですが、AIのデータ処理による人間の類型化は、条件に合致する人を抽出する「再生産」を目的としています。各人の多様性の大切さが考慮されないのです。

企業が理想の人物像に当てはまる人ばかりを採用し、それ以外を不要とすれば、その組織は多様性を失ってしまう

データのみを見て、人間を見ない。「人間中心」ではなく「データ中心」の行動ですね。

個人情報の保護は、個人のプライバシーの問題にとどまりません。

たとえば2021年3月には、通信アプリLINEの利用者の名前やメールアドレス等の個人情報、トークのテキストに対して、業務委託先である中国企業の技術者が閲覧可能な状態にあったことが発表されました。LINEを活用していた企業は、顧客や取引先とのやり取り、社内の重要情報などが外部に漏れていたことになりますから、安全保障に関わる問題です。

さらに、ケンブリッジ・アナリティカ事件では、Facebookの「いいね!」の履歴や「友だち」データからユーザーの政治思想をプロファイリングし、選挙時にそのデータを活用して広告を打つなど、政治的利用をされていたことが明らかになりました。広告等によって有権者の思想を誘導するという、民主主義の根幹を揺るがす出来事が起こっていたのです。

もっと身近な例もあります。外出先で食事をするとき、「地名」「レストラン」でインターネット検索をかければ、閲覧数の多いページから上位表示されます。そして、ほとんどの人は上位1位から3位くらいのレストランに足を運びます。インターネット上には無数の情報があるにも関わらず、大多数の人々は、ごく一部の同じ情報しか確認していないでしょう。データによる人の行動の「操作」は現実のものですが、多くの人がそれに気づいていないように思います。

安全保障や民主主義、社会や人々の多様性まで関わってくるのですね。プライバシーが法律上の権利として初めて理論化されたというアメリカでは、どのように考えられているのでしょうか。

アメリカにとってのプライバシーとは、私生活や個人の自由を、政府に干渉されない権利です。かつてイギリスは階級社会であり、法的手続きなしに勝手に家を捜索されたり、財産状況を調査されたりしていました。そのためイギリスから独立を果たした後は、政府からの干渉を排除し、個人の自由が保証される権利としてプライバシー権を掲げてきたのです。

ですから、アメリカ人はデータ活用サービスの安全性を自分の責任で判断し、データ提供やサービス利用も、個人の自由のもとに行っています。