ELSI概念の再構築:多様な価値観を反映した理想の社会の実現を目指したELSIの議論へ
見上 公一 先生

慶應義塾大学 理工学部 外国語・総合教育教室
専任講師

それでは今回のご研究の内容について、詳しく教えてください。

大きく4つのWork Packageに分けて、研究を進めていく予定です。WP①では、ELSI概念の再構築に向けて、私たちが専門とする科学技術社会論に立脚して科学技術と社会との関係を見直します。本研究では具体的な ELSIに関わる活動の考察や関係する専門家の方々と議論をまとめることを目指していますが、理論的な視点から得られた知見を枠組みとして用いることで、私たちが考えるELSIのあるべき姿とはどのようなものかを提示します。

WP②では、これまでの歴史的経緯を振り返りながら、現在のELSIの考え方の問題点を明らかにします。特にヒトゲノム計画以降に実施されてきた米国のELSI研究プログラムの活動と現状について調査・分析を行う計画です。

WP③では、現在実用化への期待が高まっている「ゲノム医療」と「人工知能」という2つの先端科学技術分野について、ケーススタディを実施します。共同研究者の江間先生は人工知能、三成先生は個人のゲノムを扱う医科学研究にそれぞれ携わっており、当該研究分野でも特に重要な位置付けにある研究者や企業の方、そしてELSIについての議論に関わっている法学者や倫理学者などと対話を重ねてきています。両分野においてどのような人が中心になって、どのような議論がなされているのか、現状の把握を進めてもらっています。

日本の多くの研究者は、ELSIが研究を遅れさせるものとして捉えているとのことでしたが、江間先生と三成先生は、その分野の研究者にも信頼されて研究を進めているのですね。

はい。STSという分野はまだ研究者が少ないこともあり、お二人の活動を理解することで、他分野に応用してみたり、さらに良いやり方を検討することもできるようになりますし、将来的には人材育成に繋げていきたいと思っています。

そして、4つ目のWP④はDIYバイオに関する調査と報告です。DIYバイオとは「Do It Yourself」の略で、バイオテクノロジー研究を市民が中心となって行うことを意味しています。

テクノロジーの進歩によって遺伝子組み換えなどのコストが大幅に下がったため、特別な研究環境にアクセスできる研究者ではなくても趣味としてそのような研究をすることが可能になりました。食肉を培養したり、色素の異なる花を作ったり、自身の遺伝子を改変したりと、これまでの常識にとらわれないイノベーションの可能性も見える一方で、ルールがないままに個人が実験を行うリスクが指摘されています。

日本ではそのような活動自体がまだ新しく、そうした議論に関する先行研究はほとんど見受けられませんが、ゲノム医療や人工知能における議論の在り方と比較することで、貴重な知見が得られると考えています。

ELSI概念の再構築:多様な価値観を反映した理想の社会の実現を目指したELSIの議論へ

従来のように大学や企業が中心に進めている以外の研究領域にも、着目されているのですね。ところで、1年目は研究会を4回、実施されたと聞いています。

実際にどのような考えでELSIに関わる活動が進められているのかを把握するため、1年目は研究会をメインの活動としました。

研究会では、ある特定のトピックに詳しい専門家2、3名に話題提供を依頼し、その内容に沿って議論を深めていきました。また、一年目の活動の成果を取りまとめることを主な目的として、合宿も実施しました。

研究会では、どのような知見が得られましたか。

やはり委員会などの重要な議論に参加する研究者あるいは有識者は、比較的シニア層の一部の倫理学者や法学者に偏りがあり、そのことも日本におけるELSIについての議論の硬直化に繋がっていることを確認できました。

一方で、世代交代も徐々に進んでいるようです。そのような専門家の「後任」として委員となった専門家の方々は、必ずしも前任者と同じ研究をしているわけではありません。すると、自分の専門領域に基づいて話をすべきか、前任者の専門領域についてフォローをするべきかという選択肢が生じて、委員会の在り方やそこで自分が果たすべき役割を考えるための情報を必要とします。今回の研究会が、図らずもそうした情報交換の場となったことで「ぜひ継続的にやってほしい」という要望を受けました。嬉しいことに、お話をいただいた専門家の中には、その後、二度三度と自主的に参加してくださる方もいました。このことから、2年目も継続して研究会を開催する予定です。

今回、助成金をいただいたおかげで研究会が開催可能になり、こうした潜在的なニーズにも応えられるようになったことを、本当にありがたく思っています。

日本ではELSIの議論が科学技術政策の枠内で行われていますが、その枠の外で先端科学技術を核としてビジネスを展開している企業では、どのような動きがあるのでしょうか。

企業ごと、あるいは産業領域ごとに違いがあると思いますが、特にこの研究が対象とするゲノム医療と人工知能であれば、ゲノム医療の実現を目指す企業が学術研究における規制に従う姿勢を見せているのに対して、人工知能では企業の側が社会に受け入れてもらえる商品づくりやサービス提供のあり方について、率先して議論を進めているようです。欧州や米国の企業が中心となって報告書などがまとめられていて、それがスタンダードになるように戦略的に打ち出しているようです。

そうした議論の進められ方の違いを比較することで、ELSIと呼ばれている事柄を考える上で、誰のどのような声が大きく反映されているのか、どのようなバランスが理想的なのかなどが見えて来ることを期待しています。

ELSIに関連する事柄について、企業でもそれぞれのモラルに基づいて、自主的に検討が進んでいるのですね。

これまで行政によるトップダウン方式で行われてきたことから、日本ではELSIという言葉に、特定のイメージが固着してしまっています。そこで本研究では、それに代わる新しい概念として、試験的に「Deliberation on Ethical, Legal and Technical Arrangements(DELTA)」を提唱することにしました。欧米においても「Post−ELSI」と呼ばれる新しい方向性を模索する動きが顕著になっているため、そうした動きに呼応しながら、日本の現状や課題を明確化する必要性を訴えていきたいと考えています。

ELSIの議論や科学技術政策には、多くの市民が参加した「多様な価値観での意思決定」を繰り返して進んでいくことが理想。どのような専門家を、どのような位置付けで呼べばそれが実現するのか、常に考える必要がある

研究ではシンポジウムの開催も計画されているようですね。

先日、領域代表者の藤垣裕子教授(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系)にもご協力いただいて、英国と日本の二国間をまたいだ国際ワークショップをエジンバラ大学で開催しました。先方とは継続して議論をすることとなっており、その成果を公開する場としてシンポジウムの開催を計画しています。このワークショップ自体、本助成制度に採択されたことが実績として認められたことで実現したものです。現在は日本と英国のELSIの比較を進めています。

また昨年の夏には、国際学会でELSIの実践に関連するセッションを企画しました。これまで各国のELSIに関わる活動の動向を把握するために文献調査やメディア解析を行ってきましたが、今回、米国やアジアの研究者からそれぞれの実情を伺うことができ、文献やメディアだけではわからなかった知見を得ることができました。そのような実状についての知見を得ることが日本の立ち位置を知ることに繋がると期待しています。

ELSIの研究者同士が直に交流することによって、新たに見えることがたくさんあるのですね。

はい。藤垣先生も、本ELSI領域の研究助成を受けている研究者が集まって意見交換をする機会を設けてくださり、非常に有意義な時間を過ごすことができました。国内でも少しずつですが、ELSIの研究者の輪が広がってきたと感じています。