ELSI概念の再構築:多様な価値観を反映した
理想の社会の実現を目指したELSIの議論へ
見上 公一 先生

慶應義塾大学 理工学部 外国語・総合教育教室
専任講師

助成期間:平成29年度〜 キーワード:科学技術社会論 領域比較 国際比較
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2010年オックスフォード大学サイードビジネススクール博士課程(D.Phil.)修了。同年、総合研究大学院大学学融合推進センターの助教に着任。2014年より英国エジンバラ大学社会・政治科学研究科科学技術イノベーション研究部門(STIS)リサーチフェロー。2017年から東京大学大学院副専攻「科学技術インタープリター養成プログラム」に特任講師として携わり、2019年慶応義塾大学理工学部外国語・総合教育教室専任講師となり、現在に至る。

まずは、本研究を始められたきっかけについて教えてください。

本研究は科学技術社会論(Science and Technology Studies, STS)と呼ばれる学際分野を専門とする、江間有沙先生(東京大学未来ビジョン研究センター)、三成寿作先生(京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門)、吉澤剛先生(オスロ・メトロポリタン大学)と共に取り組んでいます。

共同研究者の先生方とは、以前から研究の根底にある問題意識について、幾度となく議論を交わしてきました。科学技術の社会的・倫理的・法的側面(Ethical, Legal and Social Implications : ELSI)に関する議論は1990年代に米国で始まり、その後少しずつ日本の科学技術政策の中でも重視されるようになっていますが、本来あるべき形で機能しているのか私たちは疑問を感じていました。

具体的に、どのような問題があるのでしょうか。

現状では科学技術の研究者と、いわゆるELSIの専門家が交流する場がほとんどないため、議論すべき科学技術の内容を専門家が正しく理解できないまま、ガイドラインなどを作成してしまうケースが見受けられます。また、議論された内容の当該科学技術分野における研究活動へのフィードバックが正しくなされているか、という点も不十分です。

その結果として「法制度や倫理審査体制を整備することで、ELSIの議論の目的が果たされた」という誤解が生じているように思います。例えば生命科学系の分野では「倫理審査委員会での承認を経て研究を進める」というプロセスが存在しますが、そこでは適切な議論が行われることなく、事務的な作業として各申請が処理されてしまうこともあると聞いています。

また、行政側でも「委員会や審議会を立ち上げて、報告書やガイドラインを作成することで対応が出来ている」と認識している部分がありますが、最先端の科学技術のこととなると高い専門性が求められるため、どうしても委員会のメンバーが同じ顔ぶれになる傾向があります。もちろん各委員は自分の専門性に基づいて適切な知見を提供しますが、専門外の課題については議論の対象とすることが難しくなります。結果として、議論に参加した委員の専門性に偏ったガイドラインが作成されてしまうのです。

科学技術の研究者は、ELSIの議論に参加しないのでしょうか。

これは日本だけではないかもしれませんが、科学技術を推進する研究者は、ELSIの議論を「研究を遅れさせるもの、あるいは止めてしまうもの」として捉えてしまうことが多く、残念ながらそのような議論への参加には消極的です。

しかし、歴史的な経緯を辿ればELSIはもともと、ヒトゲノムの研究者が提示した概念です。米国では科学や技術が社会実装されるために克服すべき課題の解決を目的として、欧州では科学技術が現代社会に与える影響を解明することを目指して、ELSIに関する研究が進められてきました。もちろんその中心は社会科学や哲学、倫理学、法学の専門家でしたが、その成果を理系の研究に反映することで、あるべき形の研究のデザインへと繋げてきました。

一方、日本ではELSIの議論を行う際にどのような視点が必要なのかも検討されておらず、ELSIの研究活動に対する公的な支援もほとんどありません。このような現状を変えるためには、既存のELSIと言う概念を一度解体し、当該領域の研究者とELSIの専門家の双方向の交流を前提とした新しい概念を構築するしかないと考えました。本研究では「どのような社会を実現したいのか」という問題を中心に据えることで、そのようなELSI概念の再構築を目指しています。

ELSIは1990年代から存在しているが、科学技術を社会が望む姿に導くことができているかは疑問である

従来のELSIの議論とは異なり、研究者を含めた多様なステークホルダーの間で、建設的な議論が生まれそうですね。

私たちが目指す社会を実現するためには、これから生み出される科学技術が社会の中でどのように活用されるべきか、どのような方法で開発されるのがふさわしいかを明らかにし、その上で、法整備や倫理の議論を行っていくことが理想だと思っています。
 そのためには、3つのポイントがあります。

まず、「科学技術と社会は相互作用の上に成り立っているものであり、科学技術を生み出す際には、文化や社会的背景を考えなければいけない」という認識を持つこと。次に、多彩な分野の専門家を巻き込みながら、多様な政治的・経済的・文化的価値観を反映した議論を実施するとともに、「社会のあるべき姿」を共有した上で、それに相応しい各専門家が自身の専門領域における実践方法を見出す努力をすること。最後に、私たちは日本における科学技術と社会の関係性を踏まえた上で、独自の方法を編み出す必要があるということです。現在のELSIの考え方は、米国における研究の在り方や価値観がその背景にあり、日本で目指すべき活動とは必ずしも合致するものではないのです。