シミュレーションに基づいた人になじむ社会システムの設計支援:次世代交通の法規範設計を例として
服部 宏充 先生

立命館大学 情報理工学部 教授

MASSはさまざまなシミュレーションができるようですが、本研究で交通の法規範設計に着目されたのは、なぜですか。

既存のシミュレーションでは、人間の行動を制御する要因として、ともすれば物理的な制約が着目されがちでした。しかし、社会を円滑に動かすのは法律やルールであり、その影響を無視することはできません。

特に車の運転の場合は、違反したら罰金が発生するといったペナルティによる制御が、大きな影響を与えています。

そこで、物理的な制約と法規範の両方を扱えるようにするため、まずは交通MASS環境(都市シミュレータ)MACiMAを開発・整備し、法的推論支援システムPROLEGと接合しました。

これにより、法定速度に関する情報を組み込んだPROLEGの演算によって、「車両の走行速度を法定速度以下に抑える」という制約を導出し、それをMACiMAでシミュレーション中のエージェントに入力することで「車両の走行速度を、法定速度以下に抑える」という、エージェントの行動の制御が実現できます。

法定速度に関する交通法規の知識を組み込んだPROLEGの演算に基づいて、車両(エージェント)の速度を、60km/hから法定速度である40km/h以下に落とすことに成功した

シミュレータと法的推論のためのソフトウェアの連携は、ユニークに感じます。

MASSでは多くのエージェントを扱う必要があるため、スケーラビリティが重視されます。しかし、スケーラビリティを追求すると、エージェントモデルは一様にシンプルなものになってしまいがちです。

MASS研究では、個々のエージェントをシンプルな動作原理に基づく“粒”として割り切るアプローチもありますが、現実の人間は、法やルールに基づいて思考し、推論を立てながら行動しています。

そのため本研究では、スケーラビリティについては目をつむり、法規範に基づいて思考・推論できるエージェントの実現にこだわりました。効率が悪くなっても、ルールを守らないエージェントを混在させることで、より現実に近いシミュレーションを目指したのです。

これによって、新たに導入する法規範の効果や、違反した場合の罰則などに対する検証・設計が可能になりました。

エージェントは単純な方が効率は良いが、現実社会を模倣した場でシミュレーションを行う以上、エージェントも人間に近い複雑さを持たせた方がよいと考えた。こうした考えに基づいて、2つのソフトウェアを連携させた

交通の法的規範となると、警察や行政の反応も気になります。

警察や行政は、シミュレーションの必要性は理解してくれますが、現実とシミュレーションでは「可能なこと」にギャップがあるため、導入・運用となると、まだ多くの課題が存在しています。

たとえば、新しい法律について検討するにしても、行政関係者は現実に即した道路ネットワークや車両の動きなど、緻密な設定を求めると思います。しかし、設定が複雑すぎると、現在のシミュレータではその再現には限界があります。

罰則が人の心性に与えるインパクトに関しても、検討は容易ではありません。たとえば「5万円の罰金」と言っても、それが与える重さは人によって異なります。また、罰則を重くしすぎた場合、警察としては違反者の逃亡などの“副作用”にも注意を払う必要があるのではないでしょうか。

前者に関しては、「罰金5万円でおよそ4割、10万円でおよそ8割の人々が違反行動を抑える」といった相対的な基準を設けることで対処できますが、後者の“副作用”への対処は、未だ有効な方法を見出していません。

不規則性の強いもの、複雑なものは、MASSでは扱いにくいのですね。それでは、MASSで比較的扱いやすいのは、どのような事象でしょうか?

速度のように定量化されているものであれば、比較的扱いが容易です。たとえば研究2年目のとき、滋賀県草津市の環境を用いて、法定速度を考慮した車両(エージェント)1万台による交通流のシミュレーションを実行しました。生成された交通現象を検証したところ、法的判断の影響が確かに存在することを確認できました。

法定速度を考慮した交通シミュレーションの実行例

「時間に余裕がない」等の状況によって法定速度を守らない可能性が高いエージェントのモデル作成や、その違反行動に対する罰則の形式について検討を行ったのも、この年です。

安全運転を遵守する人と、スピードを優先する人では、運転の仕方や法定速度に対するスタンスが異なります。また、車両の運転に限らず人間の行動は不規則性が強く、複雑です。これをエージェントとしてモデル化することは、決して容易ではありません。

しかし、この問題から目を逸らして検証を行っても、それは「生きた検証」にはなりません。シミュレーションはともすれば、現実から遠ざかり、研究室内での実験に終始してしまいがちです。本研究では警察や行政の意見を取り入れ、最終的には次世代の交通安全に資する法制度の導出に貢献したいと考えています。