パンデミックや戦争の発生によってサプライチェーンが正常に機能しなくなると、電子機器の製造やメンテナンスの過程で不正な半導体チップ(フェイクチップ)が混入し、情報システムの安全性が脅かされる危険があります。
こうした懸念が深刻化する中、林優一先生は、半導体チップから放射される電磁波を手がかりに真正性および経年劣化の状態を特定する「電磁的フィンガープリント技術」の体系化と、誰もがフェイクチップを識別・排除できる新たな計測システムの構築を進めてきました。
インタビュー第2回では、計測データから経年劣化を推定する数理モデルや、半導体チップの劣化メカニズムを解明する研究、さらには今後の展開についてお伺いします。
まずは、前回のおさらいからお願いいたします。
パンデミックや紛争の影響によりサプライチェーンが正常に機能しなくなると、一般の市場で購入された不正な半導体チップ(フェイクチップ)が、基幹インフラや自動車、医療機器などの電子機器に組み込まれてしまう危険性が広く認識されるようになりました。
メーカーは半導体チップの真正性を判別する技術の開発を進めてきましたが、これらの技術を利用できるのは基本的にメーカーに限られています。組み立てやメンテナンスを受託した企業が使用することはできません。さらに、経年劣化した正規品が新品に偽装されて販売されるなど、既存技術では判別が困難なケースも存在します。
そこで、私たち3大学の研究チームは、それぞれの専門性を生かし「経年劣化によって変化する物理量の特定」「その特性情報を含むEMFP(電磁的フィンガープリント)の計測技術の確立」「真正性および経年劣化を推定する数理統計学的手法の開発」に取り組みました。これらを統合することで、チップの製造メーカーでなくてもフェイクチップを識別できる、新たな技術の実現を目指しました。
真正性や経年劣化性は、クロックの立ち上がりやI/Oのスイッチングに関わる電磁波スペクトラムの周波数特性から判別可能とのことでしたが、そもそも「経年劣化した半導体チップ」は、どのように入手されたのですか。
「10年間使用して経年劣化が進んだ半導体チップ」は、購入後すぐに入手できるものではありません。4年間の研究プロジェクトの中で、それをどのように再現するかが課題となりました。実は、それこそが本研究において最も困難な課題の一つでした。
劣化を加速させる要因として知られているのは、高温と過電圧です。そこで、80〜95℃の高温環境で動作させたり、動作に支障が生じない範囲で高電圧を印加し続けたりすることで、劣化を人工的に加速させる試験を行いました。
当然ながら、過度のストレスを与えるとデバイスは破壊されます。さらに、温度的・電気的ストレスを与えながら物理パラメータを同時に観測し、劣化の進行状況を把握する必要があったため、実験系のセットアップ構築にも多くの工夫を要しました。目的とする劣化状態を再現するためには、どの種類のストレスをどの程度、どの期間与えるべきかを慎重に見極める必要があり、試行錯誤の連続でした。
時間はかかりましたが、「劣化を加速させる手法」と「劣化状態を観測・評価する手法」の両方を確立しました。市販の新品半導体チップを、比較的短期間で「数年間使用した場合に相当する劣化状態」へと変化させることが可能になりました。

基礎実験の結果、高温よりも過電圧のほうが劣化加速に有効であることが確認されたため、現在は過電圧を中心に劣化加速実験を進めている。説明を担当したのは、研究チームの一人である鍛治秀伍助教
半導体チップの経年劣化に関する研究は、これまで行われていなかったのでしょうか。
劣化を加速させる研究はこれまでも報告されていましたが、その手法や、どの程度の年数に相当する劣化が進むのかといった評価については、論文ごとにばらつきがありました。また、計測のために加熱や過電圧の印加を一時的に停止すると、変化していた電磁波特性が元に戻ってしまう現象も確認されました。
経年劣化を再現する技術の開発は、まさに手探りの状態からの出発でしたが、改良を重ねながら着実に研究を進めていきました。
EMFPの計測についても、もう少し質問をさせてください。弱い電磁波を照射し、その跳ね返りの信号を分析するということでしたが、複数の半導体チップが搭載されているケースでは、信号が混ざって検出が難しくなったりしないのでしょうか。
複数のチップはそれぞれ異なる機能を担っており、物性も多様であるため、出力される信号には固有の特徴があります。そのため、複数の信号が混在していても「どのチップから発信された信号か」を判別することは不可能ではありません。
とくに前回お話ししたように、暗号回路が動作した際には特徴的な波形が現れます。私は以前、暗号回路から漏洩する信号を混合ノイズの中から抽出・特定する技術を開発しました。この技術を応用することで、複数の半導体チップから発せられる信号を一定の精度で識別できるようになりました。

バックスキャッタに関する論文は、IEEE(米国電気電子学会)が主催する欧州最大級の電磁両立性分野の国際会議「EMC Europe 2025」において、日本人としては2例目、セキュリティ計測分野では初となるBest Paper Awardを受賞した
バックスキャッタの実験では、離れた場所でも電磁波の照射と受信を実現していましたね。
クロックやI/Oのように高周波成分まで立ち上がる信号であれば、機器の外部から、ある程度距離が離れていてもEMFPの計測が可能です。ただし、測定対象となる物理量によっては、内部に接続されているケーブルなどを介して電磁波を印加し、計測を行う必要があります。これらについても、将来的には非接触での測定を実現したいと考えています。