動脈硬化は脳血管疾患や心疾患の主原因であり、動脈硬化性疾患による死者数は、全世界の年間死亡者数の約30%を占めています。とくに、動脈硬化病変が石灰化病変に移行すると、致命的な心血管イベントの発症に繋がりやすいことが知られています。しかし、その移行プロセスには不明な点が多く、有効な治療法は確立されていません。
「骨免疫学」の第一人者として、免疫系・血管系・硬組織の相互作用に着目し、血管石灰化のメカニズムの解明に取り組んでおられる東京大学の高柳広先生にお話を伺いました。
まず、高柳先生が医学の道を志されたきっかけを教えてください。
最初のきっかけは、小学生の頃に読んだ手塚治虫の『ブラックジャック』です。天才外科医ブラックジャックに憧れて、自分も外科医になりたいと思いました。
大学で整形外科を専門に選んだのは、当時、東大の整形外科を率いておられた黒川高秀先生の影響が大きいです。黒川先生は手術だけでなく基礎研究も重視しておられる研究志向の強い先生で、同時に、若い人に夢を与えるリーダーシップの持ち主でもありました。
整形外科は外科のなかでも幅が広く、脊髄なら神経が、リウマチなら内科的な側面が関係することもありますし、リハビリを専門にする人もいます。思い返せば、多様な分野を学べる恵まれた環境でした。
先生は整形外科医としてのご経歴をお持ちですね。臨床から研究に移られた経緯を教えてください。
大学卒業後は整形外科医となり、関節リウマチの手術を専門にしていました。関節リウマチとは、免疫系の異常によって関節内に炎症が起こり、関節の変形や骨の破壊が進む病気です。当時は炎症を抑える薬くらいしかありませんでしたから、患者さんは病院に通っているにもかかわらず、良くならないどころか次々と手術をしなければいけないという悲惨な状態でした。
整形外科医として7年の経験を積み手術の腕は上がりましたが、関節リウマチの病態の研究が進まない限り、本当の意味で患者さんを救えないと考えるようになりました。
関節リウマチの根本的な治療法がないことに、問題意識を抱えておられたのですね。
実際に研究を始めたのは、東京都老人医療センターの臨床部門にいた頃です。隣接する東京都老人総合研究所(現、東京都健康長寿医療センター研究所)の兼務研究員でもあったため、センターで手術をする傍ら、切除したサンプルを研究所に持ち込んで観察したり培養したりしていました。
その頃の関節リウマチの研究といえば、内科では免疫系の自己抗原に関する内容、整形外科では関節の炎症や骨の破壊に関する内容が主で、両者は完全に分かれていました。しかし、免疫と骨破壊を結びつけなければ、関節リウマチの病態は解明できません。その研究を進めれば患者さんの置かれた状況が変わると思い、研究に本腰を入れることに決めたのです。

研究を始めた頃に扱った破骨細胞は、培養するとどんどん大きくなるのが楽しかった。センターで臨床に携わりつつ、研究所で顕微鏡をのぞいていたのは懐かしい思い出
それが骨免疫学の始まりだったのですね。その後、どのように研究を進めてこられましたか。
遅ればせながら、大学院に入学しました。まず整形外科で関節リウマチの研究を進め、患部で破骨細胞分化因子RANKL(receptor activator of NF-κB ligand)が増えていることを発見しました。次に、免疫とRANKLとを結びつけるため、免疫の教室に移って「免疫系の異常がなぜRANKLの増加につながるのか」という研究を始めました。最終的には、関節リウマチに伴う骨破壊は「炎症によって引き起こされるRANKLの異常発現症である」という結論に達しました。
この研究を通じて、骨と免疫系が多数の共通分子で制御され、相互作用していることが分かってきました。それ以来、骨と免疫系の関係に着目し、両者の関係を解き明かすことに取り組んでいます。

研究は臨床とは違い、同じことを2回やってもまったく評価されない。常に新しい挑戦を求められることが新鮮だった