レーダで、どのようにして呼吸や心拍を計測するのでしょうか。
呼吸をすると横隔膜が上下に動き、胸壁全体に挙上・退行が見られます。心臓の収縮運動では、胸部や腹部の表面にわずかな動きが生じます。さらに、血液が全身に送られる際に生じる弾性波は、全身の皮膚表面に微かな動きとして現れます。このように身体の表面に生じる動きは「皮膚変位」と呼ばれています。
呼吸時の胸部の皮膚変位は、成人ではプラスマイナス5mm程度、子どもや小柄な人では1mm程度です。心拍ではさらに小さく、皮膚変位の大きい人でもプラスマイナス0.05mm程度、人によっては0.01mmより小さくなり、人の目では認識できません。
そこで、レーダ測定技術の出番となります。私は安静状態にある人の皮膚変位から、「心電計との誤差1%」という高精度で心拍を計測することに成功しました。

0.05㎜は髪の毛の太さの約半分、ミドリムシの体長と同じくらい

右下のグラフは、隣り合う脈拍の時間差を表したもの。健康でリラックス状態にあるときは、脈拍の周期にはばらつきが生じる
非接触で誤差1%とは、驚きの精度です。
レーダで受信される反射波は、複数の反射ポイントからの波が互いに干渉し、重なり合った状態です。また、心電計で測定されるデータが心臓の電気的な活動を反映しているのに対し、レーダで測定される皮膚変位は人体の機械的な活動を反映しており、異なる物理量です。さらに、心拍に伴う皮膚変位は、一拍ごとに異なる波形を示し、あまり再現しません。こうした理由により、レーダで測定される皮膚変位から心拍成分のみを分離して心拍数を推定しようとしても、高い精度は得られません。
そこで私たちは、心臓の収縮と拡張に対応する皮膚変位に非対称の性質があると考えました。心臓の収縮は洞房結節で発生した電気信号がトリガーとなって起こりますが、そのあとの拡張については、外部から入力されるトリガー信号はありません。これら二つの異なる特徴に着目し、トポロジー法と呼ばれるレーダ信号処理法を考案し、その手法により開発したソフトウェアによって、従来は達成できなかった高精度な計測が可能になったのです。
本研究ではこの成果を発展させ、複数レーダによる複数人数の同時計測を目指しました。
なぜ、複数のレーダを使う必要があるのですか。
1台のレーダでは「姿勢と体動」および「遮蔽」の課題を克服できないからです。
ベッドの横にレーダを設置し、睡眠中の呼吸計測実験を行ったところ、横向きで眠っているときは胸の皮膚変位を検知できますが、寝返りをうって仰向けやうつぶせになった途端、精度が落ちてしまいました。また、測定する部位によっては体動の影響を受けてしまうこともわかりました。
加えて、多人数が密集する場所では、他者の後ろに隠れると電波が届かなくなり、対象者全員を検出できなくなってしまったのです。
これらはすべて単一レーダ特有の課題でした。そこで、この「姿勢と体動」と「遮蔽」の問題を解決するためにも、複数レーダによる測定と、複数データ統合方法の開発に着手しました。

非接触ヘルスケア計測の実用化を阻む「姿勢・体動」と「遮蔽」
それでは、まずは「姿勢と体動」の問題をどのように解決したのか、詳しく教えてください。
それまでの研究で、呼吸の測定には胸部や腹部、心拍の測定には呼吸の干渉が少ない上腕部や足底、頭頂部などをターゲットにするのが適しているとわかっていました。
そこで、レーダをベッドの横と天井に設置し、睡眠中の呼吸・心拍を計測する実験を行いました。この環境であれば、仰向けのときは天井のレーダが胸部から呼吸を、ベッド横のレーダが上腕部から心拍を計測し、横向けになったときはベッド横のレーダが胸部から呼吸を、天井のレーダが上腕部から心拍を計測できます。2つのレーダのデータを統合することで、対象者の姿勢に左右されずに高い精度を維持することに成功しました。

心拍の測定には、呼吸による皮膚変位が少ない場所が適している。胸部や腹部ではなく、上腕部や足底、頭頂部を反射点に設定する
ただし、日中の人間の向きや動きは、睡眠中よりもはるかに多様になります。そのため、異なる方向・異なる部位で計測した複数の皮膚変位間の関係性を、姿勢の変化や体動による影響を含めて解析し、それを数学的に表す数理モデルの構築に取り組みました。