HOME > 研究者 > 堀切智之先生 > 無条件安全通信による次世代セキュア通信環境の開発(第2回)

光子(の量子状態)は量子メモリに格納されるとのことでしたが、それはどのような状態なのでしょうか。

従来のコンピュータのメモリのように0と1に置き換えられたビット情報を保存するのではなく、量子メモリでは量子の状態そのものを格納します。光ファイバーから届いた光子を吸収し、メモリ内の物質の量子状態(たとえば電子スピン状態)に、その光子の量子状態を転送することで、量子ビット情報を保存します。光の情報を、物質の情報に変換するのです。

量子中継がなかなか実証されない理由のひとつが、この量子メモリの開発の難しさにあります。どのような物質が最適解なのかが未だ判明しておらず、研究者たちがさまざまな物質で研究を進めているところです。

光ファイバーで伝送される光は、量子メモリに格納される前に、波長変換が必要でしたね。

光ファイバーで伝送可能な光のうち、最もロスが少ないのは、1.5μm程度の目に見えない通信波長です。しかし、我々が用いる量子メモリ物質が吸収できるのは赤い可視光のため、この波長への変換が必要です。さらに、開発する量子もつれ光源には、量子メモリとの高い結合効率が求められます。

博士研究員時代に滞在したスタンフォード大学の山本研究室では、半導体を用いた量子メモリの開発を行っていました。しかし本研究では、プラセオジムという希土類元素を添加したYSOという物質を用いています。これは、スループット(データの処理や転送速度)を上げやすい多重化量子通信との親和性が高いためです。

このプラセオジムYSOと量子もつれ光子の結合効率を高めるためには、光スペクトルにして5MHz(10の6乗ヘルツ)よりも狭いスペクトル幅の量子もつれ光源の開発が必要でした。よくある市販の半導体レーザーチップなどはスペクトル幅で1nmを超えるものが多く、それは周波数にすると1THz(10の12乗ヘルツ)程度なので、MHzというスペクトル幅は光の領域では非常に狭いものなのです。 前年度で世界最小の1MHzを切るスペクトル幅を達成し、90%以上の結合効率が可能なことがわかりました。また、通信波長もつれ光子(1514nm)を量子メモリ波長(606nm)に60%以上の高効率で変換可能な波長変換システムの構築も実現しました。

長距離量子通信用光源開発における研究成果。10km伝送後に、2光子間に「もつれ状態」が存在することも確認された。右の写真はプラセオジムYSO。プラスチックケース内部にある結晶が量子メモリに用いられる

20年間、誰も成し得なかった量子中継システムの構築が、もう目の前まで来ているということですか。

現在は量子メモリの保存・再生効率の向上などを目指して開発を進めています。今後、もつれ光源と量子メモリとの長時間安定結合が実現し、量子中継の基本リンク機能の実装まで到達すれば、多重化量子通信に向けて世界初となります。ですが、それでもA市とB市が繋がるだけなので、A市とC市を繋げるには、まだまだクリアすべき課題が山積しています。

また、これらは多数のチャンネルを用いた波長分割多重通信による長距離化を前提としていますが、中継器が1〜2個で済む短距離間であれば、波長分割多重といった多重化通信の必要はありません。今後、必要とされる技術や機械は、距離などに応じてどんどん変わっていくと思います。

アメリカやヨーロッパなどでは量子通信網のテストベッド構築など、世界各国でトップランナーたちがプロジェクトに邁進しており、その成果によって分野全体が進化している
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