HOME > 研究者 > 堀切智之先生 > 無条件安全通信による次世代セキュア通信環境の開発(第1回)

情報通信技術の急速な発展により、私たちはビジネスではもちろん、日常生活においても多種多様なデータの送受信を行っています。ですが、その通信は常に第三者による盗聴のリスクにさらされているため、よりセキュアな通信環境が求められています。

そのような中、従来の暗号技術よりも安全性の高さが保証され、近年注目されているのが量子暗号技術です。量子暗号や量子通信は、現在のインターネット社会をどう変えるのか、量子通信を研究されている横浜国立大学工学研究院の堀切智之先生に、お話を伺いました。

はじめに、先生が量子通信ネットワークの研究を行うようになった経緯について、お教えください。

最初のキッカケは、学部3年生の夏に目にした、新聞の科学面の記事です。IBMが量子コンピュータの実験を行ったことを報じたもので、スーパーコンピュータが数億年かかる計算を短時間で解いてしまうシステム、というキャッチーな見出しに、とても興奮しました。

量子コンピュータの研究がしたくて大学院に進学しましたが、指導教員の先生の専門が全く異なる分野であったため、研究テーマは自力で探さなければなりませんでした。なかなか決まらず悩んでいたとき、当時、同じ研究室で博士研究員だった王さんが、ふと思いついたように「量子暗号はどうだ?」と、提案してくださいました。その瞬間、私の修士課程から博士課程、そして現在に至るまでの研究テーマが決まったのです。

まさに運命の一言ですね。それからずっと、量子暗号のご研究を続けてこられたのですか?

博士課程の研究テーマは、比較的短距離の量子暗号でした。長距離の量子暗号通信には量子中継が必要ですが、その研究には潤沢な資金や物質量子系の技術が必要で、どちらも自分には不足していたのです。

量子中継の研究に初めて携わったのは、博士取得後の2007年、スタンフォード大学の山本喜久先生の研究グループに入った時です。ですが、そのプロジェクトに関してはうまくいかないまま帰国することになり、その後は東京大学工学部の光量子科学研究センターで量子情報とは隔たった「半導体励起子ポラリトン」という分野の研究に従事していました。2013年に半年だけスタンフォード大学の山本研に戻る機会があり、そこで量子中継の実装に向けた量子メモリと波長変換の研究を行うことができました。

翌年、横浜国立大学に移って自身の長期テーマについて考えたとき、自分が量子中継の要素技術の研究開発に一通り携わってきたことに気付きました。この経験を生かし、要素技術の統合を前提とした設計で、量子中継の実装を目指そうと決心したのです。

東京大学とスタンフォード大学、それぞれで行った研究を統合させた量子通信の長距離化を視野に据えた

その技術をすべて理解するのは難しいので、まずは量子暗号について教えて下さい。従来の暗号技術とは、どのような違いがあるのでしょうか。

現在の暗号技術の安全性は、暗号の解読に数百年かかるという「計算量的安全性」によって保証されています。しかし、その想定を超える高性能な計算機が実現したとき、この安全性は失われてしまいます。

一方、量子力学の原理を利用した量子暗号技術の安全性は「情報論的安全性」に基づいています。これは、どれほど高性能な計算機が開発されても安全性が保証される、現時点において唯一の方法といえます。効率的かつ安全に2者(送信者と受信者)に暗号鍵を供給する「量子鍵配送」は、量子暗号技術の一つの手法です。

暗号化ではなく、暗号鍵を作る技術なのですね。それには新しい通信デバイスなどが必要なのでしょうか。

量子鍵配送には量子通信を用いますが、光を送ることは現在の光通信と同様なので、光ファイバーは従来の古典通信と量子通信、両者とも使うことができます。異なる波長の光信号を1本の光ファイバーで伝送し、受信側で各波長の信号を分けて検出する波長分割多重方式が現在の光通信で用いられていますが、同様の方法を量子通信でも用いることが可能です。

ただし、量子通信は光の最小単位である光子を用います。これは極めて弱い光ですから、100km先まで届くのは100分の1程度、200km先は1万分の1しか届かないため、長距離化には量子中継が必須です。この中継器は、古典通信とは全く異なるデバイスです。つまり、現在の光通信設備のみでは実現できませんが、グローバル光ファイバー網を活用することはできるのです。

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