半導体メーカー以外の企業は、一般の市場で購入した半導体チップが正規品かフェイクチップかを判別する方法を持っていないのですね。
加えて、PUF等の既存技術でも、現時点では新品と経年劣化品を見分けることができません。
近年はコロナ禍の影響で半導体チップの不足が深刻化したことや、ロシアとウクライナの戦争をはじめ世界各地で起こった紛争によって、輸入に頼っていた資源の入手が困難になりました。共同研究者の本間先生や永田真先生(神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科 教授)と、新たな研究プロジェクトについてブレーンストーミングを行っていた頃、ちょうどサプライチェーンの混乱が社会的な問題となっており、その中で「フェイクチップの混入をどうやって抑止していくべきか」が我々の研究課題として具体化しました。
そこで、「我々の専門技術を組み合わせれば、真正性と経年劣化を統一的に評価し、偽造・模造あるいは経年劣化を判定する技術開発が可能ではないか」と着想しました。PUF等の既存技術は今後も発展が見込まれていますが、その技術は半導体チップを購入して組み立てを行う現場にも必要なものです。その立場に立って新たな技術を開発する必要があると強く感じました。こうした問題意識が、本研究に着手する契機となりました。
その技術開発は、どのように進めていったのでしょうか。
取り組むべき課題は、3つありました。
1つ目は、「半導体チップが劣化する」という現象が、デバイスの物性や回路性能、システム応答などにどのような物理現象として現れるのかを解明することです。半導体チップは、設計や性能、材料特性などの物理量に応じて電磁波の特性が変化します。そこで、経年劣化によって変化する物理量と変化しない物理量に着目し、それぞれに対応する電磁放射の特徴量の抽出を試みました。
2つ目は、その物理量の変化を計測する手法の開発です。半導体チップから放出される電磁波スペクトルの固有パターンを、本研究では「電磁的フィンガープリント(EMFP:Electromagnetic Fingerprint)」と呼んでいます。真正性および経年劣化の情報を含むEMFPを、特殊なテスト環境や高度な設備を用いなくても、非接触・非破壊・非侵襲的に計測できるシステムの構築を目指しました。
3つ目は、EMFP情報から真正性や経年劣化量を推定するための数理統計学的手法の確立です。

本研究の概要図。サプライチェーンに混入する偽造品・模造品や経年劣化チップを同定・排除するための技術基盤を確立する
それでは、まずは経年劣化と物理量の変化について、わかったことを教えてください。
現在わかっているのは、クロック信号の立ち上がりの遅延です。電子機器のシステムは複数の電子回路によって構成されており、それぞれの回路が設計通りに連携して動作しなければ、システム全体は正常に機能しません。クロックは、これら複数の回路の動作タイミングを同期させるために、一定の周期で発信される信号です。
このクロックの立ち上がりが、経年劣化によって鈍化することが明らかになりました。私たちの合図に例えるなら、「よーい、ドン」が「よーーい、ドン」になるようなものです。立ち上がりがわずかに遅くなっても、信号自体は定期的に発信され続けるため、直ちにシステムの異常として現れるわけではありません。しかし、確かにそのような変化が生じていることを確認しました。
また、情報の入出力を担うI/O回路のスイッチング(ON/OFFの切り替え)も、経年劣化によって遅くなることがわかりました。これは、扉の開閉動作に例えることができます。これまで0.1秒で完了していた動作が、0.3秒かかるようになる、とイメージするとわかりやすいでしょう。
これらの現象を実験的に確認し、それが経年劣化に起因するものであると特定したのが、神戸大学の永田先生のチームです。

シリコンなどの材料が劣化して抵抗値が上昇し、その結果として電流が流れにくくなり、回路の応答速度が低下するといった現象を想定したうえで、それを把握するために「どの物理パラメータに着目すべきか」を検討した
それらが鈍っても、電子機器の動作に変化は出ないのでしょうか。それとも先ほどおっしゃったように、突然壊れてしまうのですか。
デジタル信号は0と1で表現されます。信号の立ち上がりが鈍くなると、本来「011」と伝送されるべきところが間に合わずに「01」や「11」のみになったり、前後の信号が重なって正しく伝送されなかったりすることがあります。そのような不具合が蓄積したり、重要な信号で発生したりすると、システムの異常として顕在化する可能性が高まります。自動車であれば、ブレーキペダルを踏んでも即座に制動がかからない、自動運転時のセンサーの測定値に誤りが生じる、といった事態も想定されます。
また、経年劣化が進んだ半導体チップでは、外部からの電磁波に対する耐性が低下することが知られています。たとえば、正規品の半導体チップが組み込まれた心臓ペースメーカーは、外部の電磁波の影響を適切に遮断する設計になっています。しかし、劣化した半導体チップが用いられていた場合には、外部電磁波の影響を受けやすくなり、誤作動が生じる可能性が高まると考えられます。現時点で実際にそのような事例を確認しているわけではありませんが、劣化はこうした潜在的なリスクを内包しているといえます。

東京駅のように人が多い場所で無線イヤホンを使用すると、混線したり、正常に動作しなかったりすることがある。電波が密集する環境下では、劣化した部品ほど外部からの影響を受けやすくなる