いいえ、既にいくつかのデバイスが開発され、実用化されています。例えば、最新型の「インスリンポンプ」は、小型の血糖値測定装置とマイクロコンピュータを無線で接続した、名刺サイズの装置です。感知した血糖値から適切なインスリン量を算出し、患者が開始ボタンを押すことで投与されるというシステムです。
注射よりも負担が少なく、適切な量のインスリンを投与できるというメリットがありますが、エレクトロニクスを搭載しているため高価であり、食後のインスリン追加投与は手動で行わなくてはならないなど、課題が残されています。
グルコースと可逆的に結合・解離するフェニルボロン酸(PBA)という物質があり、これを高分子ゲル(高分子が三次元的な網目構造を形成し、その内部に水などの流体を大量に抱えたゲル)に導入すると、周囲のグルコース濃度に反応して形態が大きく変化するようになります。
PBA含有高分子ゲルは、周囲のグルコース濃度が高い時は、水和反応によって柔らかなゲル状になります。しかし濃度が低くなると、脱水反応によってゲルの表面がプラスチックのように硬くなり、物質の交通が遮断されます。私たちはこれを「スキン層」と呼んでいます。
このダイナミックな物理化学的性質の変化は、グルコース濃度の変化から数秒で生じます。そのため「血糖値が高い時は、インスリンがゲルを通過して放出される」「血糖値が低い時は、スキン層に阻まれてインスリンが放出されない」という、インスリン放出の制御スイッチとして利用できるのです。

PBA含有高分子ゲルの水和反応と脱水反応
糖に反応して形態を変化させるタンパクはいくつかあり、それらを活用した自律型デバイスの提案もなされています。しかし、例えばグルコースオキシダーゼという酵素は変性による使用耐性の低下、糖認識タンパクのレクチンは免疫毒性などの問題から、実用化には至っていません。
本研究のグルコース応答性ゲルは、完全合成系の材料のため免疫毒性はなく、水和・脱水を繰り返しても劣化しないため、日常生活の中で常に変動する血糖値への対応に適しています。
最初にPBAに着目したのは、共同研究者である松元亮先生(東京医科歯科大学 生体材料工学研究所)です。糖認識センサーとして注目される物質ですが、血糖値のコントロールに活用したのは、本研究が初めてでしょう。松元先生がグルコース応答性ゲルを開発し、私は先生と話し合いながら、このゲルを用いたインスリンデバイスを構築しました。