HOME > 研究者 > 酒井寿郎先生 > 生活習慣病発症に関与する神経回路の機能シフトとエピゲノム機構の解明(第1回)

現代社会では糖尿病、高血圧、脂質異常症などの生活習慣病患者が増加しており、その背景には「肥満」があります。肥満を予防するためには、適度な運動やバランスのとれた食事が重要ですが、必ずしも容易ではなく、肥満治療はなかなか進みません。

健康寿命を延伸して国民生活の質の向上を図るためには、肥満に対する画期的な予防法、治療法が求められます。そこで、エピゲノムが脂肪細胞分化や肥満、生活習慣病形成に深く関与していることを発見された、東北大学大学院医学系研究科分子代謝生理学分野の酒井寿郎先生にお話を伺いました。

まずは、エピゲノムとはどういうものか、詳しく教えていただけますか。

私たち哺乳類は32億塩基対からなるゲノム(DNA情報)を有しており、身体を形作る200種類もの細胞が設計されます。このゲノム情報は受精卵の時から、一個人では細胞の種類を越えて全く同じです。しかし、たった一つの受精卵から体細胞が分化していくにあたり「この部分の遺伝子が発現すれば皮膚細胞になる」、「神経細胞はこの部分の遺伝子を参照して作られる」など、ゲノム上のどの遺伝子が発現しているかは、細胞によって異なります。

この「遺伝子を発現させる」あるいは「遺伝子の発現を抑制する」という細胞運命の決定に関与しているのが、遺伝子の化学修飾であるエピゲノムです。

ゲノムは一生変化しませんが、エピゲノム修飾は環境によって変化する可逆的なものです。がんや生活習慣病は遺伝的要因だけでは説明がつかず、環境とのかかわりが発症進展に関与することから、エピゲノム修飾が関与している可能性が示唆されるようになってきました。

環境によって、どの遺伝子を発現させるか、またはどの遺伝子の発現を抑制するかが変わり、それが病気の発症に繋がるということですか。

たとえば、動脈硬化・心血管病では、悪玉となるコレステロールの血中の値が高くなることが主要要因です。家族性の高コレステロール血症の家系では、LDL(悪玉コレステロール)受容体に遺伝子変異が認められ、これは親から子へ遺伝します。この遺伝病の解明で病気と遺伝子との関係が明らかとなり、この研究をしておられたテキサス大学のGoldstein & Brown博士らは1985年にノーベル医学生理学賞を受賞されました。

しかし、多くの動脈硬化は単一の遺伝子LDL受容体のみによって引き起こされるわけではありません。栄養の偏りや運動不足、ストレスなど、環境による影響が必ず存在しています。

動脈硬化性疾患の原因となる肥満、高血圧、高脂血症なども同じです。近年はこれらの疾患が複数合わさった「メタボリックシンドローム」が提唱され、心血管病や脳卒中のリスクが高い状態としてとらえるようになり、環境因子に注目が集まってきました。

病気の発症には、遺伝要因と環境要因の2つが関与しています。遺伝子を書き換えることはできないため遺伝要因とには介入できませんが、環境要因への介入は可能です。私は環境要因に介入し、環境によって変化するエピゲノム機構を解明することで、病気に対する予防法や治療法の幅がより広くなるのではないかと考えました。

2001年にヒトの全ゲノムが解読され、新たなブラックボックスとして発見されたのがエピゲノム。この十数年の間に爆発的に研究が進んだが、まだわからないことが多い

エピゲノムはどのような環境で書き換えが起こり、細胞はどう変化するのでしょうか。

私はこれまで「環境変化はどのように感知され、エピゲノムは細胞の性質や個体の体質形成にどのように関与しているのか」という命題に、一貫して取り組んできました。2009年に遺伝子改変マウスを用いた実験により、エピゲノムの異常によって肥満・代謝異常症が発症することを、そして2018年には環境の温度変化に対する脂肪細胞の応答が、急性期と慢性期では異なるエピゲノム機構で遺伝子発現制御がなされることを突き止めました。

脂肪細胞には、エネルギーを貯蔵する「白色脂肪細胞」、エネルギーを産生する「褐色脂肪細胞」、どちらにもなりうる「ベージュ脂肪細胞」の3種類が存在します。この種類を決定しているのも、エピゲノムです。

気温が低い環境に暴露されると、体温を維持するために、まず褐色脂肪細胞が活性化して、より多くの熱を作るようになります。これが環境因子に対する急性期反応です。そして、寒冷環境に慢性的に曝露されると、身体がこれに適応するために皮下脂肪組織に褐色化した脂肪細胞(ベージュ脂肪細胞)が出現してくる変化(これをベージュ化という)を伴う、急性期とは異なる働きが現れます。脂肪を蓄える白色脂肪から脂肪を燃やすベージュ脂肪細胞になるには、エピゲノムの変化が伴います。私たちは一つのエピゲノム酵素に、褐色脂肪細胞と白色・ベージュ脂肪細胞という2つの独立した機構があり、環境に応じて異なる応答をしていることを突き止めました。

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