HOME > 研究者 > 小川佳宏先生 >「エピゲノム記憶」の概念の確立〜生活習慣病の先制医療の実現に向けて〜(第1回)

では「生まれた後」の栄養環境は、成人期の病気にどう関わるのでしょうか。

本研究で分かったのは、糖や脂質の代謝改善作用を持つホルモンFibroblast growth factor 21(FGF21)に対する影響です。

実は、生まれた直後のミルクのみを摂取する時期に、肝臓は大きく変化しています。

肝臓は摂取した栄養素を一時的に蓄え、飢餓時には全身へ供給しますが、生まれる前の肝臓は造血器官であり、代謝を司る遺伝子の働きがブロックされた状態になっています。これは「DNAメチル化」によって制御されており、FGF21もその遺伝子のひとつです。そして生まれた後にメチル化が外れること(DNA脱メチル化)で、肝臓は代謝機能を獲得します。

生まれる前の肝臓は代謝機能がOFFの状態になっていて、生まれた後にDNA脱メチル化が起こって代謝機能がONになる、というイメージでしょうか。

そうです。私は、新生児がミルクを通して脂質を摂取する時期と、肝臓の代謝に関わる遺伝子のDNA脱メチル化は関連があると考え、マウスで実験を行いました。着目したのは、脂肪酸によって活性化する「PPARα」という細胞核内の受容体です。

実験では「通常の産仔マウス」「PPARα欠損の産仔マウス」「Wy14648(PPARαを活性化させる薬剤)を投与した母獣マウスから生まれた産仔マウス」を用意し、それぞれのFGF21遺伝子のDNA脱メチル化の程度を解析しました。詳細は後ほどご説明するとして、まずは実験結果を簡潔にお伝えします。

  • PPARα欠損の産仔マウスには、FGF21遺伝子のDNA脱メチル化が認められない。
  • Wy14648を投与した母獣マウスから生まれて母乳を摂取した産仔マウスは、非投与のマウスよりも、FGF21遺伝子のDNA脱メチル化が強く誘導された。
    この結果から「活性化したPPARαによってFGF21遺伝子のDNA脱メチル化が起こる」「母獣マウスの環境要因(PPARα活性状態)が母乳を通して産仔マウスに伝達され、FGF21遺伝子のDNA脱メチル化に影響を与える」ことが明らかになりました。
  • 乳仔期に確立されたFGF21遺伝子のDNA脱メチル化の程度は、成獣期まで変化せずに記憶・維持された。
  • 成獣期に高脂肪食を与えたとき、Wy14648投与マウスから生まれた成獣マウスのほうが、非投与の成獣マウスよりも肥満の進行が抑えられた。
    これにより、FGF21遺伝子は、乳仔期のDNAメチル化状態が成獣期のエネルギー代謝制御に関与する「エピゲノム記憶遺伝子」のひとつであることが示唆されました。
マウスでの実験により、FGF21のDNA脱メチル化の仕組みや、
乳仔期のDNAメチル化の状態が成獣期まで維持されることが明らかになった

これまで明らかにされていなかった「エピゲノム記憶」の実体に、一歩近づいたということですね。

もちろん、FGF21遺伝子だけでエピゲノム記憶の全てを説明することはできません。他の臓器や筋肉、脂肪組織、脳など、生まれる前後の栄養環境の影響を受けていると考えられる器官はたくさんあり、それらを調べるには途方もない時間と労力が必要です。私の世代で全てを明らかにすることは不可能ですので、次世代の育成やバトンタッチの方法も、この研究の大きな課題です。

専門性の高い内容をわかりやすく教えていただき、ありがとうございました。
第2回のインタビューでは、マウスを使った実験の詳細や、
この研究の完成によって可能になる「先制医療」について、お伺いします。

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