HOME > 研究者 > 小川佳宏先生 >「エピゲノム記憶」の概念の確立〜生活習慣病の先制医療の実現に向けて〜(第1回)

肥満や糖尿病、高血圧症、動脈硬化などの生活習慣病の罹患率は、治療や予防方法の研究が進んでいるにも関わらず、年々増加しています。遺伝素因と環境因子が複雑に相互作用する病気であり、不明点が多く残されているためです。

少子高齢化と人口減少が進む日本において、一人ひとりが「病気になりにくい体質」を獲得し、日々を健康に過ごすこと。そのための新しい予防・治療戦略の開発は、喫緊の課題です。

そこで今回は、生活習慣病発症の一因が「生まれる前後の栄養環境」にあることをテーマに長年研究を続けておられる、九州大学および東京医科歯科大学の小川佳宏教授にお話をうかがいました。

まずは先生のご専門について、教えてください。

私の専門は内分泌代謝・糖尿病内科です。

初めてホルモンに興味を持ったのは、医学部の学生時代でした。特定の臓器で作られて循環血液によって運ばれ、全身の筋肉や臓器などに作用して体の恒常性を維持していること、ホルモンの不足や過剰分泌が病気を引き起こすことを知り、素直に感動しました。

医学部を卒業し、内科医として成人患者を診るうちに、糖尿病をはじめとする生活習慣病(当時は成人病と呼ばれていた)を発症する原因を知りたいと思い、研究の道に入りました。現在は九州大学と東京医科歯科大学で教授職を兼務し、基礎研究および臨床研究に取り組んでいます。

生活習慣病は、食生活や運動習慣、喫煙や飲酒など、さまざまな要素が重なって発症するイメージがあります。

そのとおりです。生活習慣病は遺伝素因(病気になりやすい身体的素質)と環境因子の相互作用で発症する多因子疾患であるため、主な研究対象は遺伝素因と成人期に経験する環境因子ですが、疫学的にはもうひとつ、注目すべきことがあります。

生まれる前後──胎生期(受精後9〜40週)から乳児期(生後1年前後)における栄養環境です。

人体の主な臓器はこの時期に形成され、著しく成長します。その際、当時の環境因子が遺伝子上に記憶され、遺伝子の発現が制御されるため、成人期の生活習慣病の発症に影響を与える可能性があると言われています。これを「DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)仮説」といい、遺伝子上に記憶される環境要因は「エピゲノム記憶」と呼ばれています。

たとえば、50歳で生活習慣病を発症した場合、その原因のひとつに「50年前の栄養環境」がある、ということでしょうか。

はい。第二次世界大戦中にナチスドイツがオランダ西部で出入国禁止措置を行い、人々が厳しい食糧難に陥った「オランダの飢餓の冬」という出来事があります。この飢餓のさなかに生まれた子どもたちが成人後、高い確率で生活習慣病を発症していたことが、オランダの研究グループの調査で明らかになりました。その調査結果をきっかけに「成人期に起こる病気の起源は、胎生期から新生児期の栄養環境にある」という考えが生まれたのです。

数十年も離れた現象の因果関係を証明することは極めて困難であり、エピゲノム記憶の成立メカニズムや分子実体はまだ不明です。しかし多くの動物実験や疫学調査により「胎生期の栄養状態が悪いと、成人期に生活習慣病を発症しやすい」という現象が確認されています。

胎生期の栄養環境が成人期の病気に関係することは、世界各国で確認されている
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