HOME > 研究者 > 一柳健司 先生 > 生活習慣病による生殖細胞のエピジェネティック変化およびゲノム変異の発生機序(第2回)

半年後に使う予定のマウスを継続的に育てていたということですね。生物とその細胞を用いた実験の大変さが、よくわかります。この研究と並行して、生殖細胞のエピゲノム制御の研究をされていると聞きました。それについて簡単に教えてください。

人間の体には200〜300種類の細胞があると言われていますが、大別すると2種類しかありません。生殖細胞か体細胞か、です。私は、もとは生殖細胞のエピゲノム解析の研究をしていました。体細胞は一代限りの使い捨てです。生殖細胞だけが、次世代を作り出し、次世代にゲノム配列を伝える権利を持つ細胞なのです。

極論すれば、体細胞はバケツリレーのように生殖細胞を運ぶための運搬手段のようなものと言えるかもしれません。医学においては個体の生命の維持、つまり一人ひとりの体細胞が重要なのですが、「種の存続」という大きな観点に立てば、生殖細胞のゲノム情報やエピゲノム情報をどう正確に維持するかという方が大切な視点になります。特にオスの生殖細胞で、エピゲノムがどのように構築され、その役割は何なのかを調べています。余談ですが、生殖細胞のエピゲノムの変化が、不妊をひきおこす要因になったりもするのです。

生殖細胞のエピゲノム解析の前は、トランスポゾンのご研究をされていたとお聞きしました。トランスポゾンとは何ですか?

トランスポゾンは、「動く遺伝因子」と呼ばれているものの総称です。一般的に遺伝子は、組み換えや突然変異以外では変化しにくいものというイメージがあると思います。しかし、ゲノムの配列の中にはトランスポゾンが存在しており、そこから転写が起きてタンパク質が生成されると、そのタンパク質はトランスポゾンのDNA配列を別の場所に転移させます。言い換えれば「DNA配列のコピーを作ってどこかに加えてしまう」という現象が起きるのです。

たとえばトウモロコシには、一粒一粒の色が違うまだら模様のものがあります。これは、トランスポゾンの転移によるものです。

もちろん私たち人間にもトランスポゾンがあり、その多くはレトロウイルスに似た配列構造をしていて、それらはレトロトランスポゾンと呼ばれます。レトロトランスポゾンは転移によってコピーが純増します。このような転移活性によって数千万年とか1億年くらいかけてレトロトランスポゾンが蓄積し、ヒトのゲノムでは半分近くの領域がレトロトランスポゾンによってできています。

生殖細胞でのレトロトランスポゾンの抑制や減数分裂進行にはエピジェネティクスが重要である

植物の色が変わったりまだらになったりするのは、トランスポゾンが原因なのですね。人間の場合はどうなるのでしょうか。

何もない場所にレトロトランスポゾンが挿入されても、何も起きません。ですが遺伝子の中に入ると、その遺伝子の機能が発揮できなくなり、病気になることがあります。貧血や筋ジストロフィーなど、いくつかの遺伝病で、レトロトランスポゾンの挿入が原因であることが知られています。ただし、普通はレトロトランスポゾンの転移はほとんど起きません。体細胞ではレトロトランスポゾンのDNAがメチル化されることで、転写が起きないようになっているのです。

一方、生殖細胞ではレトロトランスポゾンのDNAメチル化が低くなる時期があります。このような細胞でどのように転写が抑えられているのか。それを知りたくて生殖細胞におけるレトロトランスポゾンの制御機構の研究を始めました。

なお、レトロトランスポゾンは私たちに危害を加える「内なる悪魔」のイメージで話してきましたが、実は、私たち人間にとって非常に重要です。たとえば胎盤は、レトロトランスポゾン由来の遺伝子が働いた結果、作られていくことが分かっています。

胎盤の形成にレトロトランスポゾンが関わっているとは、驚きました。他には、どのような働きがあるのでしょうか。

たとえば、鼻腔と口腔の間には二次口蓋があります。爬虫類や鳥類では二次口蓋に隙間が開いており、鼻腔と口腔が繋がっています。ヘビが獲物を飲み込むときの映像をよく見てみると、必ず鼻が閉じられています。口腔内を陰圧にしようとすると、鼻とも繋がっているので、鼻の穴も閉じないといけないからです。ところが、哺乳類では二次口蓋は閉鎖していて、鼻腔と口腔が独立しています。そのため、口腔を陰圧にするために鼻を閉じる必要はありません。哺乳類の赤ちゃんには母乳を飲むという行為が必須です。母乳を飲みながら鼻で息ができるのは閉鎖した二次口蓋を哺乳類が獲得したからです。

この獲得がどのようにして起きたのかを調べた研究によれば、哺乳類と鳥類・爬虫類が分岐した後、トランスポゾン由来の配列が近くの遺伝子の発現パターンを変化させた結果、哺乳類では発生の過程で二次口蓋の壁が完全に閉じるようになったと考えられています。

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