HOME > 研究者 > 一柳健司 先生 > 生活習慣病による生殖細胞のエピジェネティック変化およびゲノム変異の発生機序(第1回)

親の生活習慣病が、子どもに引き継がれるのですか。

その通りです。私が研究しているのは、糖尿病をはじめとする生活習慣病が、子ども世代に引き継がれるメカニズムです。

まず、糖尿病は、遺伝的に発病しやすい人が存在します。この場合は、親にも遺伝子の変異が起きていて、それが子どもに引き継がれる機構はこれまでの遺伝の概念で説明できます。

それとは別に、20年ほど前から、父親もしくは母親が糖尿病である時に生まれてくる子どもが、糖尿病を発病しやすいという可能性が指摘されています。

母親由来の場合は、DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)という仮説があります。胎児期や生後直後の環境や栄養状態が、成人になってからの健康に影響を及ぼすというものです。母親糖尿病の場合、糖尿病の人が妊娠する場合、また妊娠中に糖尿病になる妊娠糖尿病で、子どもへの影響が指摘されています。病気によって子宮内環境が変わり、それに胎児が晒されたことが原因となって、その胎児が生まれて大人になってから代謝疾患のリスクが高まっているのではないか、と言われています。ただし、子宮内環境が通常時と比べてどのように変化しているのかは、まだ明らかにされていません。

さらにメカニズムが分からないのは、父親が糖尿病の場合です。基本的には、父親は精子を卵子に与えるだけで、胎児の成長は父親と接触しない状態で進んでいきます。母親が正常な状態であるにもかかわらず、子どもが糖尿病を発病しやすくなるという不思議な現象が存在しているのです。

この原因として、胎児の生育環境ではなく、またDNAの塩基配列の変化でもなく、精子の中のDNAのメチル化パターンが変化したのではないか、という説が浮上しました。ですが、一般的には精子DNAのメチル化パターンは、子どもに残りにくいと言われています。

父親糖尿病と精子ゲノム・エピゲノムの変化

DNAメチル化は遺伝しにくい、ということでしょうか。

はい。哺乳類の場合、発生のごく初期、受精卵からできた胚が子宮内膜に着床する頃までに、精子由来で持ち込まれたDNAメチル化のパターンはリセット(リプログラミング)され、胚発生の過程で再びDNAメチル化が行われていきます。

一方で、精子のDNAメチル化パターンが全く受け継がれないわけでもありません。子どもの遺伝子のいくつかは、父親か母親、どちらか片方から受け継いだ遺伝子のみが発現することが知られています。これは、母親と父親のどちらに由来する遺伝子であるかを記憶するゲノムインプリンティング機構によるのですが、インプリントの正体はDNAメチル化です。このような遺伝子では、精子由来のDNAメチル化状態が維持されています。

ただし、ゲノムインプリンティングによってDNAメチル化が維持される領域があるとはいえ、一般的にはほとんどの領域でDNAメチル化はリセットされるため、糖尿病で精子DNAメチル化が変化したとしても、それが本当に精子から子供へ伝わっているのかどうかは不明です。

リプログラミングによってDNAメチル化のパターンはリセットされるが、ゲノムインプリンティングによって維持される領域も存在する

親に糖尿病があると子どもも糖尿病を発病しやすくなる理由が、DNAメチル化によるものであるとは言い切れない、ということでしょうか。

まだ何とも言えません。正常な精子と糖尿病の精子のDNAメチル化量を比較し、その変化を報告した論文がありますが、私たちの研究グループでその実験を再現したところ、同じ結果は得られませんでした。ただ、子どもの血糖値の調節異常は私たちのところでも見られましたので、そのメカニズムを明らかにしなければなりません。

また、これまでの研究は大規模解析ではなく、一部のゲノム領域を調べただけでしたので、糖尿病によって精子DNAメチル化が変化する可能性は残されています。従って、全ゲノムにわたって網羅的に解析することでメチル化変化領域が特定できると考えました。さらに、精子の発生過程のどの段階でDNAメチル化が変化するのかも重要です。先行研究では、生殖細胞が精子に至るまでの5つのステージ(精原細胞→精母細胞→MⅡ期精母細胞→精子細胞→精子)のうち、どのステージで異常になるのかが、特定されていませんでした。

そこで、糖尿病のモデルマウスを用いて、そのマウスの精巣内の生殖細胞をFACS(一定の特徴を有する細胞のみを検出し分離する技術)によって分離・精製し、大規模シーケンサーによるエピゲノム解析を行い、「いつ」「何が」異常になるのかを明らかにしようと試みたのが、今回の研究です。

研究方法の概要
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