「植物1細胞エピゲノム解析による分化全能性の理解」

既存のクロマチン免疫沈降(ChIP)法の問題点

このように、植物の形態形成や環境応答においては、エピゲノムが重要な役割を果たしています。それゆえ、顕微鏡などで日々特定の細胞を観察し、エピゲノムの情報を取得できればよいのですが、現在の技術では不可能です。

その代わりに、ヒストン修飾の情報の取得にあたっては、これまで「クロマチン免疫沈降(ChIP)法」という手法が用いられてきました。サンプルとなる細胞のDNAを超音波破砕で断片化し、そこから特定のタンパク質に反応する抗体を用いてDNAを抽出して、次世代シーケンサーで解析することによって、DNAの塩基配列やヒストン修飾を明らかにします。

しかし、この手法ではDNAが抽出の過程で失われることを考慮して、10~100万個にも及ぶ膨大な量の細胞を用意する必要があります。また、超音波破砕によって、DNAやエピゲノムにダメージを与えてしまう可能性もあります。

そして何より、植物の個体をすり潰し、全細胞を採取して分析するため、エピゲノムについては大まかな傾向しか把握できません。仮にヒストン修飾が抽出できても、それがどの部位のどの細胞に由来するのかが、わからないのです。

少数の植物細胞でヒストン修飾が解析できる手法を開発

こうしたデメリットを克服し、ある特定の部位のエピゲノムについて、ピンポイントで正確に調べることができるようにしたいと考えて、動物で公表されているクロマチン挿入標識(ChIL)法というエピゲノム解析法を、植物用に拡張することを目指しました。

この手法では、少数の植物細胞から核を回収し、ヒストン修飾付近のゲノム配列に人為的な塩基配列を挿入します。そして、対象となる配列をmRNA(伝令RNA)として転写することで増幅し、次世代シーケンサーで解析することで、ヒストン修飾の情報を取得するのです。現在は植物細胞の位置情報を残したままエピゲノム情報を取得することに挑んでいます。

既存のChIP法(上)と、新たに拡張した植物用ChIL法(下):植物用ChIL法では、細胞サンプルではなく、ヒストン修飾付近のDNAをmRNAとして増幅

正確性については若干の課題が残っていますが、既存の方法に比べて、かなり少ない数の細胞を使ってヒストン修飾の情報が取得できるようになりました。

最終的には、ある特定の細胞の遺伝子やエピゲノムを観察して、ヒストン修飾の特徴について精緻に調査・比較したり、経時的変化や環境応答の様子を追跡できるようにしたいと考えています。

研究を順調に進展させ、遺伝子発現をピンポイントで調べる方法を確立

近年は世界各地で異常気象が発生し、作物への影響が懸念されています。しかし、高温順化をはじめ植物のさまざまな環境応答の仕組みを解き明かすことができれば、異常な高温や低温、乾燥などの厳しい環境に耐えうる農作物を生み出すことが、将来的には可能になるでしょう。そのためにも、目的の遺伝子のヒストン修飾情報を正確に取得する方法は必須でした。

植物細胞の扱いに苦労することはありましたが、研究をおおむね順調に進展させ、多くの業績を上げることができました。特に、植物用ChIL法確立の過程で、UVを照射してRNAを抽出することで、遺伝子発現をピンポイントで調べる方法を構築できたことは、本当に良かったと思います。今後、エピゲノムとの相関を解析していきます。

植物の管理が日課であり、細かい作業を伴う困難な実験に取り組んでいる時間は限られている

3年間にわたる助成のおかげで、腰を据えて研究を進めることができた

この挑戦的研究助成については、研究協力課からのメールで知りました。同じ大学の遠藤求先生をはじめ、植物やエピゲノムの研究者が過去に採択されていたこと、選考委員に当分野の研究者が含まれていたことから、申請を決意しました。3年にわたって助成していただけたことで、じっくりと腰を据えて研究を進めることができ、深く感謝しております。

また、特に教員になってからは、自分の研究や教育について相談する機会があまりなかったため、メンタリングは非常にありがたかったです。研究分野が近すぎず遠すぎず、程よい距離感の先生に定期的に相談・報告させていただけたことが、とても貴重な経験になりました。

そして、潤沢な助成のおかげで、長期的な計画を立てながら、シーケンスなどの機器を購入することができました。エピジェネティクスは発展性のある研究分野であり、地球温暖化に伴う食糧問題に対しても、農作物の増産や安定供給に貢献できると考えています。本研究の成果を土台に、安全安心な社会の実現に向けて、今後も研究を進めて参ります。

シロイヌナズナの遺伝子は約3万種類存在するのに対し、ヒストン修飾は約30種類。これらが組み合わさって機能することを考えると、ヒストン修飾と遺伝子の関係については、今後も研究を進める余地が大いにある