

ヒトの体は脳や心臓、肺などの様々な組織を持ちますが、それらの設計図であるゲノムは1種類しかありません。なぜ、1つの設計図から多様な組織に分化できるのでしょうか。
細胞核の中で、DNAの鎖はヒストンという円盤状のタンパク質に巻き取られたヌクレオソームという構造を作り、さらに、数珠繋ぎになったヌクレオソームが折りたたまれてクロマチンという構造をとります。この構造によって、2mものDNAが直径数µmの核に収納されることが可能になるのです。
クロマチンはDNAを細胞核に収納するだけでなく、転写のタイミングや転写量の制御も担っています。クロマチン構造が緩むと、転写を行う酵素、RNAポリメラーゼIIがDNAにアプローチできる「オン」の状態となります。クロマチンの伸縮によってオン・オフが厳密に制御され、組織特異的なタンパク質を適切に合成しているのです。
クロマチンには、多くのDNAループ構造が含まれています。ループは、DNA上で離れた位置にある領域を近接させる役割があります。
DNAを転写する際には、メディエーターというタンパク質が、エンハンサー(遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNA領域)とプロモーター(遺伝子の転写開始を制御するDNA領域)を物理的にブリッジングし、コヒーシンというリング状のタンパク質がDNAを束ねてループを安定化します。これらのタンパク質は転写を制御する重要な因子ですが、その制御機構の全貌は明らかになっていません。
また、DNAはそれを包む核膜に連結されており、ヒトではDNAの約4割が核膜の内側にある網状の構造「核ラミナ」と相互作用しています。核膜付近にもDNAループが存在していると考えられていますが、核膜がDNAの転写にどのように関わっているのか、分かっていないのが現状です。
タンパク質の発現を制御するクロマチンが破綻するとさまざまな疾患を引き起こす。クロマチンの遺伝子制御機構を詳細に解明できれば、それらの疾患の発症メカニズムの理解にもつながる本研究では、DNAループの構造と機能を解明することを目標に、最新のクライオ電子顕微鏡技術を駆使した2つのアプローチを行いました。1つは細胞核からDNAループの領域のみを取り出して可視化する試み、もう1つは人工的に細胞核を再現してDNAとの関わりを解明する試みです。異なるアプローチで得られた構造情報をフィードバックし合うことで、ゲノム機能のより深い理解につながると考えました。
2017年にノーベル化学賞を受賞したクライオ電子顕微鏡技術は、急速凍結した溶液に電子線を透過させて溶液中のターゲットを観察する手法で、原子の世界を可視化する強力な手段として注目されています。本研究ではクライオ電子顕微鏡の新しい試料調製プラットフォームを構築することで、技術的なブレイクスルーも目指しました。
細胞核内のDNAループを観察するには、核内のクロマチンを断片化したうえで、DNAループを持つ断片だけを精製し、顕微鏡解析にかける必要があります。
ある時、クライオ電子顕微鏡の観察グリッドそのものにアフィニティ(親和性)を持たせれば、夾雑物を含む試料であっても観察グリッド上で標的分子を選別できることに気づきました。アフィニティ・グリッドでは、試料グリッド上にストレプトアビジン(SA)というタンパク質の二次元結晶を作成します。SAはビオチンという低分子やStrep tagといったペプチドタグと強固に結合する性質があるため、それらを持った観察対象を選択的に結合することができます。SAグリッド上にあらかじめ抗メディエーター抗体(メディエーターに特異的に結合する抗体)を固定しておけば、クロマチン断片を含む溶液に浸すだけで、メディエーターを持つ断片、すなわちDNAループを含む断片をグリッドに吸着できるはずだと考え、ラボ内にSAグリッドの合成系を立ち上げました。
まず、DNAを分解する酵素で核内のクロマチンを断片化する。その後、抗メディエーター抗体を固定したSAグリッドで、メディエーターを持つ断片だけを精製するこの実験と並行して、未精製の細胞抽出液からコントロール・タンパク質分子を選別し、そのまま顕微鏡観察ができることも確かめました。わずか0.5mLの培養液から構造解析が可能な粒子を選別することが可能になり、ターゲット分子の精製から電子顕微鏡による構造解析までをワンステップで行う基盤が整いつつあります。
SAグリッドによって、花状に見える12量体タンパク質が単離された