
医療ビッグデータ解析によって抽出された7種類の治療薬候補の中に、候補薬Xが含まれていました。
候補薬Xは抗アレルギー薬などに使われている化合物で、市販薬として広く普及しています。高齢者や持病のある人でも安全に使える可能性があると考えて、この物質について詳しく調べました。
まず、候補薬Xを作用させた場合の、細胞レベルでの変化を調べるために「C2C12細胞」を用いたin vitro実験を行いました。「C2C12細胞」は、マウスの骨格筋から採取した筋芽細胞(筋繊維の起源となる単核細胞)をもとに作られた細胞株です。その変化を観察することで、筋肉がどのように変化するかを推定することができます。
C2C12細胞に、筋萎縮の副作用を引き起こす「デキサメタゾンのみ」を加え、細胞内での変化を調べました。すると「Atrogin1」という酵素の遺伝子の発現量が増加しました。
「Atrogin1」は、筋肉内のタンパク質の分解を促して、筋萎縮を引き起こす酵素です。つまり、デキサメタゾンは、Atrogin1の遺伝子の発現(遺伝子の情報がmRNAへの転写を経てタンパク質に翻訳され、本来の機能を発揮すること)を促進することで、筋タンパク質の分解を進め、結果として筋萎縮を引き起こしていると考えられます。
ところが「デキサメタゾンと候補薬Xを併用した場合」では、Atrogin1の遺伝子の発現量が減少しました。
遺伝子の発現量が減少すると、遺伝子を転写して作られるmRNAや、それに続くタンパク質が減少し、結果として、その物質のはたらきが弱くなります。このことから、候補薬Xは、Atrogin1の遺伝子の発現を抑えることで、筋タンパク分解のはたらきを弱め、最終的に筋萎縮を抑制している可能性があることが示されました。
筋タンパク質の分解を促す酵素「Atrogin1」の遺伝子発現量:筋萎縮の候補薬である候補薬Xを併用した場合(右)と、デキサメタゾンのみの場合(中央)に比べて、遺伝子の発現量が抑制。これにより筋タンパク分解、そして筋萎縮が抑えられていると考えられるここまでの成果をもとに、現在は、筋萎縮を起こした組織を解析して、遺伝子発現を調べたり、オミクスデータベースの解析に取り組んでいます。候補薬Xがどのような経路を介して、Atrogin1の遺伝子発現を抑えているのかがわかれば、治療薬実現に向けて、大きく一歩踏み出せるはずです。
「ゴールに近づいた」と実感していますが、既存承認薬であっても、本来とは異なる目的で使用する場合には、安全性と有効性について厳密な検証が必要です。サルコペニアの治療薬として使えるようにするためには、まだ多くのハードルが残されています。
それを乗り越えるために、今後は他の研究者や製薬会社などと連携して、本研究をさらに発展させていきたいと考えています。そして、将来的には、安全性と有効性の高い治療薬の実現を目指しています。
セコム科学技術振興財団の研究助成については、大学からの情報提供で知りました。「セコム」と言うとセキュリティのイメージが強く、当初は「自分の専門とは関係ないのでは」と思い込んでいました。
しかし、募集要領を見て、挑戦的研究助成は若手研究者のチャレンジングな研究が支援対象となることを知りました。しかも、その年度から始まった新しい公募テーマ(個人情報の保護と積極的利用を両立する生命医科学あるいは医療・健康管理データの研究)が、ちょうど私の研究テーマに合致していたのです。「これはチャンスだ。自分の研究テーマは『社会の安全安心』の実現にも貢献するものなので、評価していただけるかもしれない」と考えて応募しました。自信はありませんでしたが、採択された時は本当に嬉しかったです。
面接では、諸分野の先生方から研究について熱心に尋ねられた。一流の研究者が深い関心を示されたことが嬉しく、モチベーションが高まった国内の医療情報データベースは高価ですが、潤沢な資金のおかげで賄うことができました。3年間にわたり手厚いサポートを受けながら、研究に専念する機会をいただいたこと、深く感謝しています。研究者としてのキャリアを積み上げるうえで、大きなプラスになりました。
そして、最も素晴らしいと感じたのは、メンタリングです。「この研究で用いた手法は、他の疾患や病態にも適用できる。サルコペニアと並行してチャレンジしたらどうか」との助言を受け、糖尿病性腎障害の治療薬候補の探索に取り組みました。これ以外にも、今後の方向性について参考になるアドバイスをたくさんいただき、研究を大きく発展させることができました。たいへんありがたく思っています。