「豊かな味覚体験を生み出すための末梢から中枢における神経基盤の全容解明」

物理刺激と化学刺激に対する情報処理の違い

眼、鼻、耳などの感覚器から入ってきた情報は、大脳皮質の一次視覚野、一次嗅覚野、一次聴覚野というところに、それぞれ到達します。

一次視覚野の中では、よく見える視界の中心部分の情報を受ける箇所や、視界の端のぼやけた部分に対応する箇所が決まっていて、特定の光刺激に応答する細胞が明確な地図のように存在しています。一次聴覚野には、耳から入った高音から低音までの音にそれぞれ応答する「機能マップ」があるのです。

いっぽう嗅覚では、視覚や嗅覚の「光」、「音波(音の振動)」などの物理刺激とは違い、「におい」があまりに多くの化学物質からなる複雑なものなので、はっきりとした機能マップがありません。脳のA細胞とB細胞が応答したらこのにおい、B細胞とC細胞ならこのにおい、というように、複数の細胞による集団コーディングが行われているのです。

味覚神経の情報処理には二大仮説がある

それでは、味覚はどうでしょう。

末梢の味蕾は、一つの味細胞が一つの味に対応していることがわかっていますが、大脳皮質については、マップが「ある」「ない」という、ふたつの説が争っています。また、同様に、味蕾で味を受容してから大脳皮質に至るまでの味覚伝導路(孤束核、結合腕傍核、視床後内側腹側核小細胞部など)においても、二大仮説があります。

例えば甘味細胞が甘味を受容したとき、その情報が他の味と混線せずに、そのまま味覚伝導路を経由して大脳皮質まで伝わり、甘味専門の細胞が応答するという説(ラベルドライン説)。もうひとつは、一つの味の情報がいくつもの細胞に与えられ、細胞全体の活動の具合で味を表現するという、嗅覚の集団コーディングに近い説(アクロスファイバー説)です。

味覚情報処理の基礎部分を確立させるためには、この異なる仮説の検証が必須です。しかし、従来の解析法では検証が困難でした。

大脳皮質の一次味覚野における機能マップの存在の議論

検証の壁に挑む独自の解析法により、全容解明を目指す

味覚情報処理の検証が難しい最大の理由は、味覚情報を運ぶ回路の近傍には、口の中の感覚(舌触り、硬さなど)や他の臓器からの情報も同時に入ってくることです。味覚情報に対する脳の反応を記録しようとすると、その反応が味の情報なのか、食感や内臓の情報なのかを明確に判断できないのです。

そこで、他分野の研究で得た知識も生かし、新たなアプローチを編みだしました。独自の手法により、大脳皮質だけでなく、味覚伝導路についても詳細に調べることが可能になり、舌から大脳皮質までの味覚情報処理様式の全容解明に向け、大きな一歩を踏み出すことができました。

今は、味覚伝導路で「1細胞-1味」を維持する細胞と、複数の味覚情報を統合する細胞の、それぞれの役割についても研究を進めているところです。

味覚は生存に必須であると同時に、「おいしい」と感じることによって、生活習慣病の主因である過栄養を引き起こしています。味覚の神経基盤を解明し、科学的知見に立脚した味覚の制御技術を開発できれば、健康寿命の延伸に大きく貢献できるのではないかと考えています。

マウスを使った独自の検証法について説明される相馬先生

助言を頂き、ネットワークを広げ、新たな知識を吸収する好機

味覚神経科学の研究室の立ち上げと同時に、私は本研究を始めました。そのため足りないものが非常に多く、規模の大きい助成金が本当にありがたかったです。

研究費の用途や使用期限等についても、柔軟に対応してくださり、のびのびと研究を続けることができたことに、心から感謝しております。

この挑戦的研究助成に採択されるまでは、末梢から中枢へのボトムアップばかりを考えて研究していました。しかし、メンターの先生から「空腹時や病気のときは、味覚が変わる」などのご助言をいただき、認知とは中枢からのトップダウンもあるのだと気づき、研究の大きなヒントになりました。励みになるお言葉もたくさんいただき、モチベーションアップにつながっています。

セコム財団の挑戦的研究助成制度は、研究費だけでなく丁寧なメンタリングがあり、ネットワークや知識の幅が広がるという意味でも、良いことづくしの助成制度だと思っています。探求心旺盛な若手研究者の方々がたくさん応募し、研究を進めていくことを願っています。

「本研究は、味覚の世界的な共通認識を覆す可能性があると思っています。味覚に興味を持つ研究者の方々に、日本で味覚を研究するならここ!と言われるラボになるよう、貢献していきたいですね」と語る相馬先生