大学では、免疫学分野の研究をしていました。分野自体への興味もありましたが、先端技術を活用して知識を得る研究がとてもおもしろく、没頭していきました。それが研究者になりたいと思ったきっかけですが、ある時ふと「いったい自分は、研究のどこに楽しみを見出しているのだろう」という疑問が浮かびました。
あらためて考えてみると、自分は新たな事象を「認知」し「学ぶ」ことに喜びを感じていることに気づきました。そこで認知と学習の神経基盤、つまり、外から脳に入力された情報が処理され学習されるメカニズムについてもっと詳しく知りたいという思いを抱くようになり、神経科学の道へ足を踏み入れました。
まず、動物はどうやって物を見て、認知しているのかを調べました。視覚情報を処理しているのは、脳の大脳皮質にある「視覚野」です。そこで、動物が何かを「見た」とき、視覚野の細胞がどのように働くのかを解析しました。その後、脳で処理された情報が、例えば「見づらい物を見るために目を細める」などの筋活動に変換される部分、脳からの指令を身体へ出力する回路の研究を続けました。
眼、鼻、耳、皮膚などの感覚器で「赤色」「高い音」「ざらざらする」などの刺激を受容し、その情報に脳が最初に反応する部分を「入口」、その情報を処理して筋活動の指令を出す部分を「出口」とすると、出入口ではとても明確な神経活動が記録されます。
しかし、マウスが「このにおいを感じた時に前肢を動かすと、甘い水がもらえる」と学習したり、「今は舐めたくない」と思うなどの情報処理の機構、つまり入口から出口に至る中間の神経回路は解明されておらず、ブラックボックスになっています。
私は嗅覚の領域からも、そのブラックボックスに迫ろうとしましたが、一筋縄にはいかない難しさを改めて痛感しました。そんな折、京都府立医科大学で味覚神経科学の研究室を立ち上げるという情報が耳に入り、興味を持ちました。
立ち上げから加わった当研究室の教授は、味蕾の味細胞など末梢研究の先駆者です。いっぽう私は、中枢部分の研究を専門にしています。他にも、味覚神経科学の異なる部分のエキスパートが集結し、味覚の受容から脳の中枢までの研究をひとつの研究室で完結できる体制ができました。これは私が目指す「認知と学習の神経基盤の全容解明」に、理想的な環境です。
我々人間を含む動物は、栄養豊富な食物を「おいしい」と感じて積極的に摂取します。いっぽうで、腐ったものなど、毒素を含んだものは「まずい」と感じて忌避します。つまり味覚は、動物が生命活動を維持していくうえで、極めて重要な感覚です。
しかしながら、舌が受けた刺激が脳でどのように処理されるかについては、その多くが未解明です。昔から味覚神経についての学術論文はたくさん書かれてきましたが、基本的な5味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)に対する味細胞の受容メカニズムが全て解明されたのは、つい最近、2020年のことです。末梢の機構についてよく分からないまま、中枢の研究が進められていたため、確定的な検証ができなかったのです。