私たち人間は、社会を構築し、その中で生きる社会性動物です。そのなかで多様な社会性行動を営み、他者との関係を築くためには、まず相手を覚えていることが前提になります。私は、脳がどのような仕組みで相手のひとりひとりを記憶しているのか、そして、記憶と感情がどのように結びつき、行動に至っているのかに興味を持って研究しています。
知人の顔を見たときや、その人の名前を聞いたり、思い浮かべたりしたときには、海馬の中のその人の記憶を貯蔵しているニューロンが活動することが知られています。
私たちはマウスを使って海馬の様々な小領域の興奮阻害を行いながら社会性記憶をテストし、他個体の記憶を貯蔵しているのは海馬の腹側CA1と呼ばれる領域のニューロンであることを明らかにしました。
さらに、マウスの頭に脳内内視鏡という非常に小型のカメラを埋め込んだ状態で他のマウスに接触させ、相手が何者かを判断しているときの海馬ニューロンの活動を観察しました。その結果、脳は複数のニューロンの組み合わせで相手を記憶していることがわかりました。海馬には無数のニューロンがありますが、ここで仮に9個とすると、3番6番9番でAさん、2番3番8番でBさん、という具合です。
2005年にカール・ダイセロスが報告した、ニューロンの活動を光でコントロールする「オプトジェネティクス」の技術により、神経科学分野の研究は飛躍的に発展しました。具体的には、光を受けて活性化するチャネルロドプシンというタンパク質を、あらかじめ標的となるニューロンに発現させておき、そのうえで光を当ててそのニューロンを人為的に活性化させます。この技術を使って、「ある個体を記憶しているニューロン集団」をオプトジェネティクスによって選択的に活性化させれば、その個体のことを強制的に思い出させることができるのではないかと考えました。
ニューロンが活動すると、c-fosという遺伝子の発現が増加します。c-fosプロモーターの下流でtTAタンパク質が発現するようにデザインされた遺伝子改変マウスにおいては、tTAタンパク質がさらにTREプロモーターと結合し、活性化したニューロンにのみチャネルロドプシンが発現します(下図)。このマウスを初対面の「マウスA」に接触させれば、マウスAを覚えるときに活動したニューロンだけをチャネルロドプシンで標識できる、という仕組みです。
標識後に海馬の領域全体に光を当てると、マウスAを記憶したニューロン集団だけを活性化できます。これにより、特定の個体を強制的に思い出させることが可能になりました。
他者の記憶と、その人に対する感情は強く結びついていますが、脳内の記憶を司る部位と感情を司る部位は、実は分かれています。情動を司るのは、海馬の下流にある「扁桃体」です。「Aさん」を記憶している海馬のニューロンと、扁桃体にある「嫌い」ニューロンとが結びつくと、「Aさんが嫌い」という情報になるのです。
脳は、二つの情報を同時に受け取ると、それらを関連づけて処理します。そこで、オプトジェネティクスを利用すれば、記憶と情動を人為的につなぐことが可能と考え、実験を行いました。テストマウスにマウスAのことを思い出させ、同時に電気ショックを与えると、テストマウスはマウスAが嫌いになって近づかなくなりました。一方で、マウスAを思い出させながらコカインを注入して快楽の刺激を与えると、マウスAに好意を抱くことも確かめられました。今後は、「好き」・「嫌い」の情動が行動に現れるとき、脳の中で起こっていることを、オプトジェネティクスと脳内内視鏡を組み合わせて明らかにしていきたいと考えています。