もともと学生時代から生物に興味がありましたが、一部の“擬人化”された表現には違和感がありました。例えば「T細胞は病原体を“攻撃するために”追いかける」というような描写です。まるで細胞に知恵や目的意識があるようですよね。こうした説明に納得できなかったのです。たとえ単細胞生物でも、その行動は物理的、化学的に説明できると、私は考えています。
もしそうであれば、意思も目的も無い無生物系でも、生き物のような振る舞いを再現できるのではないでしょうか。そのような想いから、モデル実験系でどれだけ生物に近づけるのか、挑戦したいと思うようになりました。
明治大学に赴任した当初は、研究室を立ち上げ、研究環境を整えるための準備期間が必要だったため、できることが限られていました。これは研究者として致命的な状態です。そこで「安価で簡単に取り組める研究」から始めたのが、樟脳を使った自己駆動粒子の研究です。樟脳とは、クスノキの精油の主成分であり、防虫剤に使用されているものです。
例えば、樟脳の粒をプラスティック板に付けた「樟脳船」を複数用意して、1本の円環水路に浮かべると、一定の間隔を保って水面を動きます。ところが、樟脳船の数が一定以上に増えると、車の渋滞のような現象が現れるのです。このように、単純な系でも集団になると、複雑な挙動を示すことがあります。
生物学においては、動物実験であるインビボ(in vivo)実験、組織の断片や細胞レベルで実験するインビトロ(in vitro)実験などがあり、個々の階層において多くの先行研究があります。しかし、実際の生体は階層として独立しておらず、相互に影響しながらひとつの個体として機能しています。
こうした階層性を持つ系をまとめて取り扱う研究こそ、生命現象を本質的に解明するための重要な課題なのです。
今回の助成研究では、代謝を模した化学振動反応であるBelousov-Zhabotinsky(BZ)反応を、自発的に運動する水滴の中に閉じ込めました。これにより、細胞のように内部の化学状態に依存して運動の様子が変わるようなモデル実験系の確立を目指しています。
無生物のモデル実験系を確立させることができれば、将来的には、自律性の高いソフトロボティクスへの発展が可能になるのではないでしょうか。生体内、海底、地中、他の惑星など、人が直接操作できない環境は多くあります。そのような環境下で、自律的に判断し、環境に応答することができる化学システムの確立へとつながるものと期待しています。