私は臨床歯科医になるつもりで歯学部に入学しましたが、3回生のときに化膿レンサ球菌の研究の手伝いをする中で臨床から研究へと関心が移り、大学院に進学して肺炎球菌の研究を始めました。
歯科と肺炎は無関係と思われるかもしれませんが、実は、肺炎球菌はおよそ3人のうち1人の割合で、小児の口腔内に存在しています。また、同じレンサ球菌属の化膿レンサ球菌は咽頭炎の原因菌ですが、一方で致死率が30%を超える劇症型感染症を引き起こす、人食いバクテリアとしても知られています。これらの菌が、抗生物質が効かない“耐性菌”へと進化することが、いま強く懸念されています。
そのため私は、肺炎球菌と化膿レンサ球菌をターゲットに、表層部分に存在するタンパク質群の分子進化解析、および病原性の関連について研究を進めています。
従来の方法では、試験管内の実験で期待通りの成果が出ても、動物実験や臨床試験では同じような結果が出ないことが多々あります。それは、研究対象を決める際に「この物質を解析すれば何らかの関係性が見えてくるはずだ」と推測するしか方法がないためです。
もっと高い精度で重要な病原因子を選出できないか──悩んでいた私に、転機が訪れました。米国カリフォルニア大学サンディエゴ校への留学です。留学先研究室のVictor Nizet教授から「最初に動物実験を行い、有意差が現れたものを解析しなさい」と言われ、目から鱗が落ちる思いでした。すなわち、もっとも重要なポイントを最初に押さえるという着想を得ました。「進化」という観点を得たのもこのときです。
そこで帰国後、分子進化のコンピュータ解析手法を独学で習得しました。細菌は生物に感染した後、免疫機構を備えた宿主の生体内で生き延びるために、タンパク質とそれをコードする遺伝子に変異が生じます。しかし、菌の生存に重要な役割を持つ分子は、タンパク質の配列を変えることができません。
このため、人間に感染した肺炎球菌を検出し、そのゲノム情報をコンピュータで解析して統計的に保存性が高い(変異が少ない)分子を選出することで、重要度が高いターゲットを絞り込むことができるのです。
本研究では、まず、肺炎球菌の表層部分に存在する約30種類のタンパク質の遺伝子配列を選出し、コドン配列について分子進化解析を行いました。コドンとは、各アミノ酸に対応する3つの塩基配列のことです。たとえばコドン配列「AAA」はアミノ酸「リジン(K)」になります。1つ遺伝子に変異が入って「AAG」になっても、アミノ酸「K」のままですが、「AAT」に変異するとアミノ酸「アスパラギン(N)」になります。
このコドン配列情報をもとに、分子系統樹と進化の選択圧を計算したところ、統計的に変異が許容されていない(保存性が高い)遺伝子として、肺炎球菌のLytA、CbpJが該当しました。特にCbpJは病原性に対する役割や影響が未だ不明だったため、それぞれの遺伝子欠失株を作製し、マウスで実験を行いました。