所属
横浜国立大学 先端科学高等研究院

職名
特任助教

キーワード
デュアル・ユース 熟議 RRI

助成期間
平成31年度〜

2018年4月
−9月

オックスフォード大学 St Cross Scholar


2019年4月
−2021年3月

日本学術振興会特別研究員


2021年4月
−12月

山梨大学 医学域 特任助教


2021年12月

北海道大学 大学院 文学研究科 博士後期課程修了 博士(文学)


2022年1月

横浜国立大学 先端科学高等研究院 特任助教



研究成果の悪用・誤用リスクに倫理学の観点からアプローチできないか

哲学・倫理学の世界に足を踏み入れたのは、高校時代の倫理の授業で古今東西の思想や現代社会が抱える倫理的問題について学んだときに、「答えは人それぞれ」「さしあたり極端な考えを避けておけばよい」といったまとめ方で授業やディスカッションが終わってしまうことに満足できず、体系立った仕方で思考を深めたいと思ったことが原点です。また、お恥ずかしい話ですが、「倫理学は生き方についての学問なのだから、大学でみっちり学べばよい生き方を選択できるようになるのではないか」という当時の私が抱いていた素朴な考えも進路選択の追い風になりました。

哲学・倫理学を専攻した学部・大学院時代は、特にメタ倫理学と呼ばれる領域の研究に打ち込みました。個別の倫理的問題が生じている状況から一歩後ろに下がって「そもそも『Xはよい』という判断は何を意味しているのか?」「物事の正しさは人間が抱く考えから独立した仕方で決まっているのか?」といった議論の土台を問い直すメタ倫理学の研究は大変やりがいがあるものです。その一方で、高校時代に関心を寄せていた現実の社会が抱える倫理的課題から遠ざかっていくことに違和感を覚えるようになりました。

転機が訪れたのは、修士課程修了後、社会人学生として国立大学法人や研究費配分機関に勤務していた時です。多くの研究者が「自分の研究が進展した場合にどのようなメリットがあるか」についてはよく考えている一方で、「研究成果が悪用・誤用されたらどうなるか」についてはあまり注意が向いていない、あるいは議論の俎上に乗せようにも考えるための道具立てが乏しいように見受けられました。そのような状況の中で、倫理学の観点からアプローチできないかという問題意識が芽生え始めました。

また、期を同じくして、2015年に防衛装備庁の競争的研究資金制度が創設されたことを契機として、軍事転用に繋がりうる研究に大学の研究者が関与することの是非を問う議論が社会的に注目されるようになったことも、私の研究の方向性に大きな影響を与えました。私個人の問題意識の芽生えと社会的なトレンドという二つの要素が重なったことで、デュアル・ユースに関する研究に踏み出したのです。

研究開発のポジティブな面は注目されやすい一方で、悪用・誤用された場合のネガティブな影響には目が行きにくいことが問題

海外と比べて、日本はデュアル・ユース研究技術に関する議論が立ち遅れている

デュアル・ユースとは「用途両義性を有する」という意味で、研究開発の文脈では「軍民両用性」と「善悪両用性」に区別されます。前者は民生利用・商業利用だけではなく軍事利用にも使われうる研究や技術、後者は利益だけでなく脅威をも生み出すものとされますが、両方に該当する事例も多く存在します。例えば、2001年にアメリカで起きた、米陸軍による炭疽菌流出の犯行事件は、福祉向上のための医学研究がバイオテロに転用される可能性を示唆するとして、大きな議論を呼びました。科学技術の発展は、私たちの生活に恩恵をもたらす一方で、その知見が悪用・誤用される場合には、私たちの安全を著しく害するものとなるのです。

海外では「デュアル・ユース研究や技術開発をどのように推進・規制すべきか」をテーマとする研究が盛んですが、日本では体系的な研究事例がほとんどなく、また研究開発の現場での対応も立ち遅れているように思います。

例えば「データの捏造や改竄をしてはいけない」「ギフトオーサーシップを禁じる」といった、研究活動中の不正行為については細かく定められており、研究倫理の教材も充実している一方で、研究開発の実施それ自体──つまり「当該の研究を実施すべきでない/してもよいのか」、また「その研究成果を公表すべきでない/してもよいのか」といったこと──に関する倫理学的議論は、一部の領域を除いてほとんどなされていないのが現状です。その一因として、研究開発の実施の是非を倫理学的観点から判断・吟味するための具体的な評価基準や評価フローが確立されていないことが挙げられるかもしれません。

費用便益分析とは異なる、新しい評価の枠組みが必要

では、日本では現在、研究開発を実施するかどうかを、どのように決定しているのか。様々な要因が複合的に関わっているので一概には答えられませんが、有力視されているアプローチとして費用便益分析があります。ある活動がもたらすコストと利益とを比較考量して、コストよりも利益のほうが大きい場合にはその活動を実施してもよい、とする決定手法です。わかりやすいアプローチではありますが、研究開発の文脈で実際に生じるコストや利益は不確実であることがしばしばですし、個人の権利や正義といった様々な考慮すべき要素が取りこぼされています。例えば、ある研究の成果が大多数の人々に恩恵をもたらす一方で少数の人々にはリスクもたらすようなケースにおいては、費用便益分析だけでは、リスクを課される少数の人々の存在が無視されてしまいがちです。これらの点を踏まえて「多様な立場の人々の価値観を考慮できるような新しい評価の枠組みが作れないか」と考えたことが、本研究の出発点です。