「温もり」ある次世代メディアを実現するフレキシブルペルチェマトリクスの創出

「温度の振動数」を明らかにし、冷温感を伝送することに成功

人間の感覚には時間分解能があり、例えば視覚はおよそ60Hz、聴覚はおよそ20kHzとされています。各々の感覚の時間分解能に基づいて、映像や音楽機器のサンプリング周波数が設定されているのです。

提案するフレキシブルペルチェ素子の設計においては、温度感覚に対する時間分解能の情報が必要でした。ところがこれまで、触れてから冷温感を感じるまでの反応時間は調べられていたのですが、時間分解能についての知見はありませんでした。そこで、温冷交互刺激に対する知覚実験を行い、温度変化が0.5Hzを超えると上昇・下降を知覚できなくなることを初めて明らかにしました。

人間の温度感覚の時間分解能を評価したことで、新たな展望が生まれました。zoomの通信路を利用して、温度情報を伝送する試みです。

実はこれまでにも、音声を伝えるためのzoomの通信路を利用して、振動を伝える研究がなされていました。このたび、温度情報に必要な周波数の帯域を明らかにできたので、zoomの通信路を利用して温度も伝えられるのではないかと考えました。温度情報はそのままでは非常に周波数が低いため、AM変調を行い、zoomの特性に合わせた高周波に変換することによって、温度情報の伝送が実現しました。

温度と振動の情報を音声信号に変換する装置。送り手側では振動と温度の情報を検出して音声信号に変換し、受け手側では受信した信号を再変換して、温度と振動を再現する

「心地よさ」と「辛さ」、どちらの情動性の再現にも意義がある

人の温もりのように心地よい感覚を伝えることを目指して研究を始めたのですが、このテーマに取り組むうちに、「辛さ」の再現にも大きな意義があることに気づきました。

今、触感を利用した体験システムの一つとして、腹部に電気刺激を与えて月経痛を再現する装置を開発しています。このシステムの発案者である学生は、「月経痛の個人差に起因する、女性間での認識のずれを解消したい」という思いを持っていました。辛さの再現は、他者の苦しさの追体験によって思いやりを育む側面もありますし、自分の病状を客観的に理解するための手がかりにもなるのです。

長期的な展望を持てることが、セコム科学技術振興財団の助成制度の魅力

研究助成制度は単年度のものが多い中で、セコム科学技術振興財団の研究助成は最長3年間という時間をいただけるので、長期的な計画を立てて研究に取り組めることがありがたいです。助成金の金額が大きいだけではなく、助成期間中にメンターの先生方との面談もあり、研究を進める上で手厚いサポートが受けられます。

今回、時間をかけて情動性の研究に取り組むうちに、数々の付随するテーマや新しい展望が見えてきました。温度伝送システムの開発をきっかけに、温もりを伝送することの意義を心理学の視点から研究しておられる方との共同研究も始まりました。このテーマは他の研究助成に採択され、開発した温度伝送システムを利用して実験を行うことが決まっています。

奈良時代の大工道具である槍鉋で、宮大工が木を削る感覚を体験できる「槍鉋体験システム」は、古都に建つ奈良女子大学ならではのユニークな提案。視覚や聴覚に、振動や身体動作などの触覚情報が加わることで、リアリティの高い体験が可能

一時の絶望が新しい可能性への扉を開く

頭の中で「こうすればいいはず」と温めているアイディアはたくさんありますが、実際にそれらのアイディアを形にすると、できたという達成感と同時に、予想していなかった問題点が次々に現れ、「クリアすべき課題が実はこんなにあったんだ、全然ダメだ」と絶望感を味わうことになります。しかし、そのときこそが研究を深め、可能性を広げるチャンス。頭の中のイメージから脱却し、実現へと前進するだけでなく、視野が広がって新たな研究テーマが生まれることもあります。私にとって、この絶望の瞬間こそが、研究の醍醐味といえるかもしれません。

学生にも、研究や開発の面白さを伝えたい。1、2年生からアルバイトとして実験の手伝いをしてもらい、研究に触れる機会を積極的に提供している